店主酔言

書籍・映画・その他もろもろ日記

2004.9

 

 

 

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[ 以前の日記 ]
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[ 銀鰻亭店内へ ]



9月1日(水) 

 珍しく北海道までやってきた台風が不発に終わった午後、さまざまな事件が起きる。WinXPのSP2が郵便局配布になったり、ゲームボーイアドバンスが1万円を割ったり、浅間山が噴火したり。しかし驚きだけのこういうネタはよしとして、ロシアで勃発したテロ、しかも小学校占拠ってのは何じゃ?特撮モノの悪の組織だって、いまどきやらねぇぞ!
 よしや血の復讐のためだろうと、無関係な丸腰の人間を盾にする行為は許されんと僕は思う。ましてそれが子供とあっては弁護の余地はなかろう。かの国の元首は「テロリストは便所に追い込んで便器で溺死させる」と日ごろから公言してるそうだけど、ぜ〜ひやってもらいたいもんだ。なんなら便器代にカンパしますぜプーちん。<妙な呼び方すなっ

 『怪奇礼賛(E・F・ベンスン/A・ブラックウッド他/著、中野善夫/吉村満美子/編訳、創元推理文庫)』読了。
 うーん。
 怪奇=恐怖ならず、という編者の主張は分かるし、巧みに書かれたあやかし語りの魅力もよく知っているつもりだ。が、この短編集にその彩りが濃いかというと、遺憾ながらそうは言えない。不可思議でありながら穏やかで美しい怪異譚も含まれている反面、およそ何が表現したいか読み取りにくい、ぼやけたものも多いのだよね。初訳に拘泥るあまり、物語の愉しみを度外視されてるんじゃないかなあと思わないでもない。若人たちに新世界を見せるという目標は、残念ながら果たせないのじゃないかと思う古人であった。


9月4日(土) 晴

 好天に恵まれつづける夏の名残の1日。爽やかな風を感じつつ週末清掃と洗濯に勤しんで汗をかき、しかる後風呂に入って潔斎。これから水槽まわりの用品を求め、ハンズメッセへ出撃である。ものども、貝吹けぇ〜!…いや、呼ばわったところでせいぜい「にゃあああぁ〜」としか返ってこないんですけどね。実のところ「行ってきます」も無視されましたし。

 さて、準備運動がてらにボークスへ寄り、相方のお人形用に靴を数足購入。しかるのち赴いた目的地は、恒例のイベントとあって結構な人出だった。が、過去数回のようにぎゅうぎゅうした印象は無い。かといって客数が少ないワケでもなさそうだ。棚の位置を変えたりレジ前に列を作りやすくしたりといった、随所にみられる工夫の成果なのだろうなコレは。夜なべしたであろう店員さんたち、ご苦労様っす。
 で、肝心な釣果はというと、まずアクリルと象牙の端材、それにリューターのコレットが少々。他は電動鋸が欲しかったんだけど、流石に設置場所をキープしてからでないとねえ…って、なんか目的地と違うとこに迷い込んでませんか僕。しかも既に獲物を手にしてるし!慌てて最上階へ行き、老猫の餌と水槽の底砂をゲット。よしよし、と思ったところでふと見ると、先ごろ目をつけていたミニ水槽にライトもつけたセットが、かなりの安値で出ているではないか。これを買わぬテはあるまい!
 しかし全てを抱えてほくほく歩き出したところで、想像以上に重いのに(いまさら!)気付き愕然。まあねぇ、餌で5kg、砂が3kg、水槽もガラス製だから2kgはくだるまい。ほんでもってオプションパーツとか下のフロアで買ってきたもろもろを加えると、なかなか凄いものがある。しかも嵩張るんで乗り物も選ぶ。やっとのことで帰り着いた時には日も沈み果て、風が肌寒く吹き始めていた。力仕事はしたけれど何となく不健康な休日であったなぁ。

 ってトコで足腰を休めつつ『探偵稼業はやめられない・光文社文庫『ジャーロ』傑作短編アンソロジー(サラ・パレツキー他/著、山本やよい他/訳)』を読み了える。
 どの話も、謎解きにはあまり重きを置いていない。しかしモノは探偵小説、ミステリはさておき探偵の魅力こそが最大の評価ポイントであろう。で、そういう意味において、この本に選ばれた話はどれひとつとして文句なし。個性豊かな探偵たちと彼ら彼女らの機知に胸躍らせて作品から作品へ渡り歩く愉しさといったら!久々に満足このうえないアンソロジーにめぐり会え、幸福感いっぱいである。
 特に面白く読めたのがS・J・ローザン描くところのリディア・チン&ビル・スミスのコンビ。このシリーズはねこまがつとに勧めてくれていたのだけれど、忙しさと積読本の高さを理由に手を出さずにいたのが悔やまれる。書斎の箱の山から発掘せにゃあなるまいな。


9月6日(日) 晴

 ねこまとふたり、今日は駅前方面へ。目当ては大丸で開催中の『ナショナル・ジオグラフィック ワイルドライフ写真展』。楽しみにしてたんだコレ!
 要は動物の写真だけれど、世界有数の研究機関でもある同財団の刊行物を飾るってことはラクダが針の穴を通って天国へ行くほど…ではないにせよ、超がつく難関だという。それゆえ選ばれたものには、芸術性はもとより、被写体の特性や生活、あるいは知られざる一面が濃厚に映し出された傑作名作が多い。アルマジロがジャンプした瞬間、水面にいる人間を観察するように仰向けになって泳ぐベルーガの群、風紋が刻まれた静謐な砂丘をただ1頭往くカモシカ、こういったもの全てが周囲の空気まで取り込んだような臨場感を伴って目の前に展開するのは、ただ圧倒的としか。平面に封じ込められた風景に周囲を押し包まれるような気分になるというのは、別にサイズのせいではあるまい。
 出口近くでは、協会の歴史を研究者や撮影者を絡めて綴ったDVDが上映されていて、これまた見応え十分。欲を言うならこれも頒布して欲しかったな〜。と思いつつ図録ゲット。あとでゆっくり感動を反芻しよっと。

 本屋パトロール雑貨屋クエストその他を経て、帰宅後『幻月楼奇譚(今市子/著、徳間書店)』を読む。
 どうしたんですかね、作者。
 絵は例によって綺麗だし、雰囲気も出てる。が、筋の組み立てがどうにもお粗末だ。つかちーとも話を語ってませんよこれ。ぼかして読者に思い巡らせるのでもなし、端折りまくって丸投げしてませんか?幻想談、怪奇物、人の綾なす情と念…とボーイズラブを描きかけて、どれも「この作者だから」と納得ずくの読み手にしか伝わらないものになってて非常に残念っす。次の本では持ち味の緻密な語りをお願いしやすぜセンセー!って、次は『文鳥様と私』か…あうううう。

 今日はまた『ジョジョの奇妙な冒険』の28と29、杜王町を舞台とした第4部の締めくくりも読んだ。特殊な「力」そのものより、それをどう用いるかという知恵の勝負が白熱するスピーディな展開が目を外させない。少年漫画が辿りがちな「強さのインフレ」パターンを排した面白さはここにあるのだろうな。その極として「力」をもたず見ることもできない小学生を参戦させ、改めてスタンド使いたちの異様さを際立たせているのも上手いやな。
 連載中、話の端々を読むだけではイマイチ全景が見えず退屈しがちだったのだけど、こうしてまとめて読むと、奇妙な人々と、かれらが彩る「町」がひとつの懐かしい顔に見えてくるから不思議だ。僕の趣味には一番合うシリーズだったかな。


9月8日(水) 風!のち晴

 大型台風がまっしぐらに日本海を北上、もの凄まじい強風を叩きつけてきた。だからって小中学生のように休みがもらえるワケもなく、築30ン年になんなんとするボロ家(大家さんごめん)が揺らぐほどのパワーに抗いつつ、相方と2人して地下鉄の駅を目指す。
 なにせ台風なんぞ数年に一度来るか来ないかの土地で生まれ育ったものだから、倒れた木だの吹っ飛ぶ植木鉢だのが物珍しい。前のヤツは「ぽえんぷしゅう」でつまんなかったなぁなどと不謹慎なことを言い合いながら歩き続けたが、そのうち飛ばされた砂粒がビシビシと肌に痛くなってきた。ううむ、そのかみ原野を駆け回った記憶(サバゲ)が甦るのぉ。戦場の風がオレを呼んでいるのかッ?<違います
 しかも、地下鉄構内で明かりがチラチラする。瞬電ってヤツっすね〜とぼんやり思い、はたと我に返る。会社のPCがヤバいじゃん!南無八大竜王、止め賜え!

 極めて身勝手な願いを天が容れたとは思えないが、午後から風はぴたりと止まり、真夏のような好天となった。市内では街路樹がなぎ倒されたり車がひっくり返ったりと壮絶な被害もあったそうだが、とりあえず身内には大過なかったようである。

 しかしまぁ、炎暑に地震に噴火に台風にと、今年はイロイロ騒がしいやね。古来、政道の乱れが天の怒りを招くとして、天災が続くと為政者が謗られたものだけど、世界各地が荒れ模様の今は、いったい誰に石を投げるべきか。
 もっとも、楽しかるべき新学期にテロリストが乱入してきて、学校もろとも吹っ飛ばされてしまうような壮絶な災厄もあるわけだけど…って、それは天災じゃなくれっきとした為政者の責任問題であるわな。困ったことに当代だけの問題でもないし、両陣営のトップ全員並べて首を切ったところで憎しみの連鎖が途切れるものでもないのだが。

 夜に入って涼しい空気の中、近在の神社へ。今日は縁日だったが流石に嵐の後とて人出もあるまい、枯れ木なりと賑わせに…と思ったのだけれど、予想に反して屋台が並び、人がぞろぞろと流れている。
 おそるべし、テキ屋根性!暴風の間、石の下にでも隠れてたのか?つか客のほうが凄いよなあ。台風直後に祭りフードをかっこむ元気というか無神経は、いっそ清々しいほどである。
 ちなみに僕は1人が淋しく、相方への土産を買って早々に帰宅した。ブツはママゴト道具の店にあった「ユカちゃんキッチン」である。祭とは縁もゆかりも無い、こういう態度こそ無神経の最たるものであろうけど。


9月9日(木) 晴

 台風が引きずってきた低気圧も去り、秋らしく高い青空が広がった。が、気分良く出社する道すがら、目に入るのは無残に折れたり根こぎになった街路樹たち。北海道の木は、北風に耐えて育つために南風に弱いのだそうで、要は来るべき冬へと踏ん張って備えていたら背中をドン突かれたようなものなのだろう。ビル2階くらいの高さに育ったものが、呆気なく転がってしまっている。
 かつて詩人は樹木を一編の詩になぞらえ、どっかの国の大統領が間抜けな引用をしたりしたもんだけど(って後者はどうでもいいやん)こうなってしまっては見る影も無い。いまどき、埋め戻して養生してやろうなんて市政が思うワケもなく、中には既に鋸で引かれバラバラになっているものも。
 来る冬が今から寒くなりそうな風景である。来春には、新しい木を植えたいね。

 『海賊岬の死体(ジェフ・アボット/著、吉澤康子/訳)』読了。アロハにバミューダ、サンダルばきの判事モーズリー青年を主人公とする、憂鬱なコージー・ミステリ第二弾。風光明媚な田舎町で、老いらくの恋を楽しむカップルが無残な死体になって発見され…という出だしからして酸鼻だが、以降、主人公達と犯人それぞれの側から進行していく欲の絡み合いにだんだん嫌気がさしてくる。なまじっかキャラクターがユーモラスな面を見せるもんだから、ピークに至ってはもう「おまえらみんな板の上歩かせてやろうか!」と、こっちが海賊気分になってしまった。どっちかっつーと吊るすほうがいいですかね?
 好漢・グーチも今回いいとこなし、文章力と構成で最後まで読ませるものの、どこをどう楽しむべきか分からない話だったなぁ。『●曜サスペンス劇場』みたいなつもりで読むといいかもしれない。


9月12日(日) 晴

 まだ薄暗い早暁に目覚め『ムーン・ロスト(星野之宣/著、講談社)』を読み、残った眠気を吹っ飛ばす。
 不意の天災(文字どおり!)と、それへの対処のために誘発された事態で「月」を失った地球。自転のバランサーが失われたため地軸が徐々に傾き、北極点が移動してゆく…というシチュエーションからして壮大だが、対処すべく採られる方法が輪をかけてスゴイ。しかし、それを単なる夢物語としない理論が密に織り込まれていて、これが読ませるのなんの。途上で発見されるものの運命もあいまって、物語の行方に気をもまずにいられない。
 また、その中で繰り広げられる人間ドラマも細やかで、個々のキャラクターへの思い入れを誘う。儚く消えてしまう人々にもそれぞれの生が思いがあることを刻み込むような描き方は、これまで主人公格の人々にのみスポットを当てることが多かった作者のスタイルへの好ましい変革に思える。また、従来、個人の欲や思い上がりが事態を狂わせていく流れが主だったけれど、今回は国家の思惑とそのパワーを向こうに回しての戦いとなるのが興をそそる。特に「世界の警察」をもって任じる某超大国が、凍土と化しつつある国土を取り戻そうとあがき、ついにはテロリストに成り下がる様は現実社会に対する皮肉として小気味良い。もっとも、それとても個々の小さな望みの集約であることが描かれているので、同時に切なく物悲しいのであるけれど。
 『千夜一夜物語』などの短編宇宙物と『ブルー・ワールド』などの大作のエッセンスが見事に融合した一編であった。満足しつつ、オビの企画である「月の土地」の懸賞に応募葉書をしたためてみる。いや、ほら、ひょっとしたら地球のほうが先にダメになるかもしれないから、その保険に。

 やがて起き出してきたねこまと、水槽のメンテ。昨日のうちに棚を動かし、きたるべき模様替えの初動段階を済ませていたので、通常新しい水のバケツを上げていた高い段が無くなっている。いや、あってもアチコチ筋肉痛で持ち上がらない可能性もあるが。
 ねこま「で、どうするの?」
 (某青い猫型ロボット口調で)ハイ、風呂水ポンプ〜♪
 ねこま「イマイチ似てない…」
 しまった、マッドサイエンティストの常用句「こんなこともあろうかと」にしとけばよかったか!
 ねこま「いや、そういう問題ちゃうし」
 とまあ、アホな掛け合いをしつつ試用したポンプは効果絶大であった。ただ、絶大すぎて水流がかなり強い。シリーズ品のなかで一番小さいのを買ったのだけど、60cmでも底砂を巻き上げてしまうパワーなので小型水槽には向かないな。次回は電源レベルでパワー調整が効かないかどうか、試してみるとしよう。

 日中を公園散策に過ごし、先日の台風で荒れまくった森とはびこりまくった鴨を眺め「組み合わせると丸焼きが作れる…」と思わず口に出し後者を愛でていた老婦人に睨まれたりしてから帰宅。ひさしぶりに光合成をして疲れたので『ケロロ軍曹』『鋼の錬金術師』『デカレンジャー』『仮面ライダーブレイド』を流し見しつつ、ついウトウト。えーと、一番印象に残ったのは…やっぱケロロの予告っすね!あの声であのネタで桃華パパをやりますか!と。いや、だってさぁ、『鋼』は妙なギャグのせいで話のテンションがガタガタだし、『デカ』はゲストキャラがナマナマしすぎて見るに耐えなかったし、『ブレイド』は…ええと、まあ、いつもながら説得力の無い話でしたね。特に剣崎と橘の噛み合わなさときたら「またか!」としか。クールも後半戦なんだからさぁ、もう同ネタの繰り返しはやめませんかね?


9月16日(木) 晴

 異空間というものは、意外にも身近に存在する。しかも、大概の家庭に1つは必ずあるもののようだ。ド・コカシーラソ・ノア・ターリ(略称・ドッカソノヘン)というそれに吸い込まれたものは、どんなに探しても発見することができない。ある日、何かの弾みで空間が綻びて、用も無いのに出現するまでは。
 帰宅早々、買い置いたはずのモノを探して跋渉しつつ、そんなことを考える。うむ、これはなかなかイケてる理論かもしれん。いずれきちんと系統立てて論述すれば…まあ、このネタが件の空間に飛び込んでしまわなければ、だけれど。
 いや、まぁ、理論はさておいて、小型の突っ張り棒が見つからないんだよな。水槽の日除けのため、棚にカーテンを吊ろうと思ったのだが…ないないの神様、どこにありますか〜?<異空間理論はどうした

 で、神といえば仏、ということで『見仏記(いとうせいこう&みうらじゅん/著、角川文庫)』読了。
 ミーハーかつ熱烈に仏像に見惚れ、アイドルのように写真を求めてしまう心地は僕にも覚えがある。そう、あれは中学2年のみぎり、初めて漫画を読んだ影響からだった。ちなみに作品は『百億の昼と千億の夜(萩尾望都)』。ええ、もう、ベッタベタでコッテコテな陳腐っぷりですわ、はい。
 と、まぁ僕の履歴はさておいて、本書もその紀行の緒においてはいっそ能天気といってもいいような軽さをもって仏像を訪ね歩き眺め倒す。「それ」を仏(ブツ)なんぞと呼んでしまう天衣無縫ぶりが実に楽しい。
 の、だが。
 回を重ねるごとに、その明るさも、また徐々に見せてくる真摯な表情も、読者を徐々に置き去りにする。なぜならそこには余人を容れる気がまるで無い、作者たちは共感など求めていないのが明らかになってゆくからだ。途中に登場する女子高生見仏者を同好の士とは見なさず、シブヤとかナンパといったキーワードで括ってしまう大雑把ぶりからもそれは感じ取れる。後年のいとうせいこうが『ボタニカル・ライフ』で感じさせるゆとりやシンパシーは、そこには全く存在しない。
 もとより「恋」と言い切ってしまった時点で、他者が入り込む余地など無いのだろうな。古来より我が国では人の恋路を邪魔するヤツの末路は決まっている、まして相手が仏像とあっては、蹴ってくる馬のケタも違うだろう。僕はそう諦めて、とりどりの仏像の解説書として本書を読み終えた。終わり近くで語られる、祈りに極めて近いと思われる感情に少しだけ感動しつつ。
 著者が『ボタニカル』の悠揚へと至るまでの旅路を追って、2・3巻も続けて読むべきか…と思ったが、他人に訴える気の無い色濃い沙汰をすがって聞くも野暮な気がする。
 ので、続いては萌え全開で語りまくるラブレター集大成『ローマ人の物語(塩野七生/著、新潮文庫)』に取り掛かることに。いよいよ筆者本命のユリウス・カエサル編にかかって、今度は熱気に当てられそうな気もするけどね。


9月19日(日) 晴のち曇

 『秘密(東野圭吾/著、文芸春秋社)』を読む。実は僕、この著者を、出会った当初の数冊で「いまいちオモシロない推理作家」とカテゴライズし、以後避けて通っていたのだが…ファンタジーな芸風もある人だったのかぁと、本作を読んで認識を新たにした次第である。うむ、決め付けはよくない、うむ。
 ネタとしては類型の多いものだ。ことに北村薫『スキップ』とは非常に近いものがある。ただ、あちらが少女趣味なイメージの世界で留まっているのに対し、こちらは生臭いまでにリアルである。原因となった事故の始末、それをめぐる人々の多様なあり方、そして主人公達の関係の移ろいは、スクエアな筆致もあってまるでドキュメンタリーめいた生彩をみせることさえある。
 が、それゆえにか、キャラクターの感情の動きにのめりこみにくく、また途中で想像できてしまう結末を著者が盛り上げようと筆を弾ませるのが透けて見えてしまい、ちょいとアンチクライマックスな気がしないでも。とまれ、先入観はよくないぞということを再度学んだ本としては記憶に残りそうである。

 午後、ねこまと外出。最終目的地のみ決めて、気の向くままに街を歩く。飛び込んだ店のカレーが美味かったり、旧い街並みの店の並びが一新していたりヲタショップの扱い内容が変わっていたり…あ、いや、ここまで来ると通常のパトロールっすね。
 模様替え用の棚やその周辺アイテムをハンズで求めた後は、久しぶりに旨い和菓子を求めたり珍しいメニューのあった蕎麦屋へ飛び込んだりして、また気ままに帰宅。そのまま床でごろごろし、夜半まで揃ってだだ寝してしまったのは秘密である。ああ、自堕落な暮らしっていいなあ!


9月20日(月) 曇

 敬老の日。敬いたくない年寄りがザワザワしている我が家としては複雑な日である。猫が16歳と15歳、レモンテトラが6歳、カージナルテトラは5歳等など、いずれも人間に比すると米寿を越えてなんなんとするシロモノばかりである。しかも、どいつもこいつもワガママで、そのくせ妙に頑強なのが腹立たしい。えーいくそ、どけ!掃除して食器洗ってエサをくれてやるからよ!

 しかしアレだな、人間の年寄りにも、この頃ちっとも敬う気になれないのが目立つと思う。これみよがしに路上へタンを吐く、人目もはばからず立ち小便する、デパートの試食をハイエナのように漁りまわる、電車で大股開きで席を占領しかまびすしく喋る、ファストフードで横柄に店員を使おうとする、酔って道行く人に不明瞭な言葉を浴びせる、バス停で列から離れた所に立っているくせに車が着くとダッシュで突っ込む…どれもこれも分別あって然るべき、白髪の目立つ60代70代の連中がしてるのだから恐れ入る。ワシらが若い頃の老人は、もっと礼儀正しく、かつ毅然としてたぞ!いまどきの古いモンはどうなってるんだ?
 で、こういう「世に憚る」タイプとは別に「弱者ぶりっこ」な気味の悪い種類もいる。過日、新聞の投書欄で読んだその典型は「銀行で間違ったカードを使って手数料がかかり、返却を要求したら断られた」と、ごくごく当然のことをいかにも自分が軽んじられたように書いていてムナクソワルイなんてものじゃあなかった。それじゃ何か、間違って「あったかーい」ボタンを押してしまったら交換するまで自販機にゴネるのか!つーか間違ったカードでそのまま利用できたってことは、暗証番号一緒にしてんのか!そっちのが問題だろうが!ンな投書採用するな朝日新聞!購読やめるぞ!

 と、高齢化社会に比例して増えたであろう害獣(とあえて言う)に憤慨しつつ、少なくとも自分はかくなるまいと自戒する。敬われはしないまでも、軽蔑されない年のとり方をしたいもんだ。
 しかし、座右の詩がアシモフの「男ざかり」と谷川俊太郎の「年頭の誓い」になりそうな人生送ってきてるからなぁ。はてさて、どうなりますことやら。

 水槽の掃除をし、かれらの引越に備えて30cmを1本立ち上げる。最近流行りのテトラの小型水槽は思ったより扱いやすく、また美しい。が、残念ながらセットに入っていたライトが故障している。交換のため、今日も街へ出る羽目に。
 で、日の暮れ方で人数少ないハンズでは店員さんがさくさくと応対してくれ、テスト済みの良品を渡して貰えたのだが、ここで思わぬトラップが待ち構えていた。
 「ねこぽろ」。
 いろんな種類の猫が放し飼いされた小部屋に入場料払って入る、要は有料ふれあいコーナーってヤツである。普段は中の人々と猫を眺め「金を払ってまで触らんでも、ウチのでいいや〜」とスルーしていたのだが、今日に限って入場者ゼロ。しかもノーウェジアンフォレストの、毛並みうつくしくあくまでデカいのが、ででーんと横たわってこちらを見ている。うう、手触り良さそうだなぁ!
 ということで入った部屋には、大型の猫がぞろぞろ。さすがに闖入者には慣れていると見え、猫じゃらし程度では振り向いてもくれないが、それだけに家具並みの気安さで目の前をウロウロする。こっちも今さら大興奮するほど猫に新味があるでなし、互いにのほほんと過ごすこと数分。特に巨大なのが目の前にやってきてゴロンと寝そべり、瞬く間に寝息を立て始めた。かと思うと他のがネズミ人形でひとり遊びを始める。我が家の老猫より一回りも大きな身体で、音も無く飛び走るしぐさが子供らしい。ああ、若いコっていいわねぇ!<違

 帰り道、首輪をつけたミルクティ色の猫が道端の草を嗅いでいるのを発見、さっそく声をかけて接近、スリスリしてもらった。手触りがよくてシアワセ〜な気分になったが、考えてみたら頭をこすりつける仕草ってのは猫の匂いつけ、いわば所有物への第一歩なんだよな。つまり今日は数多のケモノどもに「わがもの」印をつけられちまったことになる。えーと、かれらを敬うべきなんでしょうか?


9月23日(木) 晴

 秋来ぬと目にはさやかに見えぬため、暦にて季節を定める秋分の日(大嘘)。久々にひとりの休日であり、また最近、休みというと遮二無二かけまわることが多かったので体にゃガタが来はじめてる。ここは我が身一つの秋ぞフケ行くってことで、ひねもすゴロゴロ寝て暮らすことに。

 とはいえ、ただ寝てるなんてことは、風邪を引いて高熱と鼻水と肺の痛みに喘いでいてさえ出来ない僕である。本日は『ローマ人の物語(塩野七生/著、新潮文庫)』8〜9を一挙読破。今更言うまでもないが2人のシーザーら〜ぶラヴ〜な作者の畢生の大作、その中心を為すユリウス・カエサルの前半生を3巻かけて書き込んでいるくだりだ。
 この著作について出版社や世のオジサン族は「現代日本を見直す」とか妙な意気込みをもって手にすべしと考えてるようで、もちろんそれはまるっきり外れではない、けど、ここまでの前段に比して見ると、これはどう読んでも「萌え」だ。畢竟、書きたいものは只ひとつなんで、一生懸命保とうとしている客観性が常に強風に吹かれてひらひらしてるような気さえする。このへん、キャラへののめり込みから設定ヲタに走る少年少女と似てるよな〜。馬から落ちて落馬式の重ね言葉や妙な表現がちらほらするのも、かれらと同じご愛嬌といえようか。もちろん、アニヲタやゲーヲタと違い、彼女の萌え対象とその設定(違)には確固とした記録が残されているので、同時代人や風物、歴史のおさらいなんかもあって読ませるものではあるけれど。たとえば紀元前のローマに4階建てのアパートがあったなんてこと、さりげに取り出されて驚かされたネタである。
 けど、所詮ラヴの萌えのってのは個人のものであり、それゆえしっかりねっちり書くべく連ねられた年月が、後半になるとちとヘヴィに感じられたのもまた事実。来月刊行の続きまでにこの印象を拭っておかないと、そのまま積読本になっちまうかもしれない。


9月25日(土) 晴

 我が家は、侵略者に監視されている。
 これは妄想ではない。こうして日記をしたためている今も、カーテンの隙間から見下ろす物陰にヤツらが身を潜めているのが分かる。その距離は日ごとに狭まってきており、こちらがふと意識を逸らした隙に玄関先にまで足跡が印されている。抵抗も逃走も意味は無い、うっかりドアを開けた瞬間、奴らは口々に叫びながら駆け寄ってくるのだ。
 そう、「にゃ〜(意訳:オヤツ〜)」と。

 ってワケでうっかり外出もならず、楽しい侵略アニメ『ケロロ軍曹』2週分を観る。
 先週分は桃華父が襲撃してくる例のアレ。声に池田秀一を迎えお約束なセリフつきで笑わせる…のではあるが、なんかこう、赤い彗星は既にお約束過ぎてちょっとやそっとじゃウケないネタのような。演出&作画もちょっと手抜き感があるので、声優をアテにするなら脚本をもっとクドくしてもよかったんじゃないかな。いや、執事・ポールの必殺技は原作以上にイケてましたけどね。ナニモノだおっさん。
 で、今週分は季節柄の運動会。こっちは画もしっかりしてたし話の持っていき方も上々。原作のダークなネタが無かったのは惜しいが、さすがにヤバいよねアレは。しかしそれを埋めるべくアニメオリジナルの妨害工作が(お約束の連続なれど)徹底して描き込まれているのが笑えたし、ギロロの漢っぷりが光るエピローグもいい。この話はDVD買おうかな〜。

 毎週恒例の片付け物を済ませ、今度は『鋼の錬金術師』を2週分。
 ええと…どこへ転がってくんですかこの話?
 地下に街が丸ごと!ってあたりで『ベルセルク』ですかっ?とツッコミつつ、あまりにもエスカレートした力の表現にそらぞらしい気分になっちまったせいなのか、どうにも展開に乗り切れない。だってもよ〜、賢者の石を造るために街ひとつ犠牲にして、で、その街を隠滅するエネルギーは何処から来るのよ?つか破壊するほうが地下都市にするより手間いらんのではと思いますがいかがか?…などなど、突付きたくなる重箱の隅が多いんだよな。でもってパラレルワールドで落とすたぁ、分かりやすいといえば言えるけどお手軽のような。ラストとスロウスの最期の辺は力一杯の盛り上げっぷり、見てるこっちも胸苦しいほど切ない展開だったのにねぇ。あえて原作と乖離させてきたアニメの下駄をあっちに預ける気なのかなと要らん憂鬱をおぼえてしまった。もうすぐ最終回、何とかよい方向で期待を裏切っていただきたいモンである。


9月28日(水) 晴

 めでたく雨に祟られなかった中秋の名月、全天を輝かすばかりの晧々たる光に見入る夜半。帰宅途上でなければ、どっか灯火の少ないとこへ行って一献傾けるのもアリなんだけどね。がしかし、そもそも人家の明かりビル明かりが空を染めて無いトコなんて、いまどき地の果てでもないと、なぁ。

 かくて月明かりの青さを脳裏に描きつつ『世界の涯の物語(ロード・ダンセイニ/著、中野善夫・他/訳、河出文庫)』読了。
 えーと、月とかそーゆー余計なイメージ作らないほうがいいです。<をい
 ダンセイニ卿というとファンタジーの草分けとして、薄暮の世界に綴られた精妙巧緻な蜘蛛の糸の如き…とか、やたら気品ある繊細典雅な物語が想起されちまうきらいがある。解説子も書いているけど、これは古来訳された作品群によって作られた、いわば固定観念じゃなかろうか。
 この本の大勢を占めてるのは、そういった麗しい面影とはまるっとかけ離れたモノだ。作家で言うならC・A・スミスかラファティの、得々と語られるホラ話。しかもかれらほど直球勝負でなく「ナニが言いたいねん?」と首を傾げさせておいて炉辺の火明かりでニヤリ笑う語り手の表情が透けて見えるような面白み。その笑いがケケケケケケとけたたましくなって、ふと気付くと夜の森に取り残される、化かされるスリル。こういうののほうが、僕は好きだな。
 ところでダンセイニ卿といえば、アメリカで講演した時に最前列にH・P・ラヴクラフトがかぶり着きで居たっつー話を聞いたことがある。あの顔が頑張ってるのはさぞや鬼気迫る風景だろうなとか、そんなに好きなのに自分はあのテの作品かとか、いろいろ思うところが多いエピソードだが…かくてヲタの連鎖はなされるという見本のような話でもあるな。いろいろ思われるっつーか痛いところを思い出す秋の宵であることよ。おほほほほほ。<おいおい




翌月へ






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