店主酔言
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1月1日(水) 
 日が昇りきった頃起き出し、昨夜のすき焼をおじやにして朝食。いっそ清々しいまでに正月らしさのカケラもない。ま、我が家らしくて良かろう。

 昨夜からの続きで『ロード・オブ・ザ・リング/スペシャル・エクステンデッド・エディション』を鑑賞。まずは特典ディスクを見終え、創意工夫が溢れ出て洪水みたいになってる裏方の技に呆然とする。架空世界を完全に創造する手工業とハイテクの集大成、特に前者の作りこみっぷりは素晴らしい。武具甲冑はもとより、什器食器の類まで全て種族ごとの特徴に合わせて作りまくり、ホビットが関るものについては全く同じ物を2サイズで…なんて調子で生み出された膨大な生成物を見ていると、感心やら感動やらを突き抜けて気が遠くなってくるものな。なんというか、その、映画馬鹿ファンタジー馬鹿としか誉め言葉が見つからないプロフェッショナル達であるよ。
 あと、キャストの素顔を見るにつけ、彼らを役に配した人の目に驚きを感じる。「この顔にこのメイクしてこういうカツラと衣装を用意すれば…」ってのが見通せる眼力ってのは、それだけで神秘の領域のような気がするな。

 午後遅くなってから、蒲鉾だのハムだのと正月食品を並べてつまみつつ、今度は本編に突入。新たに追加されたシーンやカットが約30分追加されているのだが、どれも原作読みには「よくぞ」と嬉しくなるものばかり。ホビット庄の人々や暮らし、エルフ達との遭遇、それに何より奥方様とギムリのシーンが原作でも微笑ましかったが、上手く料理されていて名場面になっている。劇場では添え物みたいだったケレボルンも存在感が出てるし、レンバスをめぐるホビットたちの小ネタには笑えるし…って、追加されたのはそういう心弾む場面ばかりじゃないのだけどね。ま、僕の好みってことで。
 文字で書かれた物語を映像化して、ここまで違和感無く楽しめた作品は無い。この2月に迫った続編がいよいよ楽しみなところ、それまでこのDVDを隅々までしゃぶり尽くして待つとしよう。あとはコメンタリーとスケッチ類で10余時間ってとこだ。いくぜ耐久勝負!<何か間違っているような

1月5日(日) 晴のち曇
 冬休み最終日。10日近くあった筈の休日だが、周囲の状況は休み前とほとんど変わっていない。いや、積読用の山を崩したり資料を求めて棚の奥まで掘り返したりしたんで、休み前より荒れているやもしれん。少なくとも書庫兼物置兼書斎は、年末の水漏れ騒ぎから復旧できてないので、荒廃しまくりの立ち入り制限(されちゃった)地域と化しておるしのう。ここ数日はその避難作業の傍らデータベース構築とか家庭内サポセンとかやってたからちーとも現状復帰されてないし…って、つらつら考えてみたら去年より環境が悪化してるだけじゃん!うわーん!
 つーか、避難作業してるはずが、手にした本の中身をふと気にしてしまい、はっと気付いたら読み終えてるって状況が一番の問題なんだよな。え?問題は状況じゃない?ま、そこらは深く追求しない方向でひとつ。<反省せんか

 とはいえ、出来なかったの進まなかったのとグチばかり並べていても始まらないので、とりあえず年賀状の作成にとりかかる。これとて遅いわけなんだが、松の内だから許容範囲だろう。作っておいた怪しい羊のモデルをコピー&ペーストしてデザインを作り、いただいた分だけせっせと刷り、宛名を書いて完成。ううむ、早い。我ながら切羽詰まると仕事が速いのはどういうもんだろう。またこういう状況にならないとアイディアも出てこないっつーのはなあ。
 ま、これまた追求するとあちこちイタかったり痒かったりするんで、懸案問題として次期へ繰り越し。かくて今年もまた件の如き始まりであるな。そう、食って寝て人牛の怪物に…あれ?

 夜、TVで『リーサルウェポン4』を観る。お気に入りゲーム『ポリスノーツ』のモチーフであることをさっぴいても好きな映画なんだが、シリーズ4作目ともなると少々粗雑になってきてる印象がある。主人公コンビの横紙破りに行き過ぎの観があるんだな。捜査?方法、事態への対処、全てに基本のキの字も無くなって、既に警官として「はみ出し」てるどころじゃない、全く別の組織みたいに見えると思うんだがどうか。まぁ同じ轍はシリーズものの多くが踏みまくっているわけで、ことさら大声で批判するほどのことじゃないんだろうけれど。だからといって面白くないわけじゃないし。
 面白いといえば、この4作目に至って、タイトルがどっちかっつーと敵を指してる気がするのはおかしいな。全身まるごと凶器みたいなカンフー使いはまさに人間兵器だろう。ただ、ジェット・リー演じるこの悪役、顔つきが妙に可愛いしアクションの「止め」がなんだか特撮チックだしで、本気で憎めないものがあるね。いや、後半はちょっと特殊化した見方かもしれませんけどね。

1月6日(月) 雪
 凍りつくような冬空にちょっと晴れ間が覗いたかと思うと横殴りの吹雪という、北風と太陽がタッグを組んだ嫌がらせのような天気。こんな日に初仕事はイヤだなあ。まぁ気持ち良く晴れてれば「なんでこんな上天気の日に」とか思うんですけどね、ええ。
 仕事自体は大過ない立ち上がり。休みが長かった割には期間中のトラブルも少なかったようで、さのみ溜まっていない。結構なこっちゃ。いや、仕事が少ないってぇのは実際はマズいのかもしれないが。

 かくてストレスを溜めるでもなく時間を過ごしたが、昼休みともなると退屈の虫が…じゃなくて狩猟本能が呼び始めた。思うに空腹の影響ではなかろうか。それじゃ結局、腹の虫じゃないか?と自己ツッコミしつつゲーセンへ。さのみ食指が動くものがなかったので、とりあえず龍騎キーホルダーをゲット。これでコンプである。まぁコンプしたから何ってわけでもないわな、全部いっぺんにぶら下げて歩くワケにも行かないんだし。<じゃあ獲るなよ

1月7日(火) 晴時々曇
 例によって昼飯どきにゲーセンへ。餌場(食品売り場)と一体化してるもんだから、ついつい行ってしまうなぁ。いや別に反省も後悔もしてませんけどね。<しろよ
 今日の獲物は『龍騎』キャラのSDソフビ、かねて欲しいと思っていたライアとガイである。ポーズのつけ方キャラの捉え方はバンダイの『仮面ライダーキッズ』に及ばないし塗りも甘い、ついでに言うとちと小ぶりなんだが、それでもなかなかによく出来ている。300円で2個取れたから、まずまずというところだろう。
 で、満足して餌場へ移動したら、季節柄か菓子をさまざまに可愛らしくパッケージングしたものが並んでいるのに出くわす。懐の暖かい子供狙いか、或いは現金を貰っても「?」な年頃の幼児へのお年玉用か。いずれにしても微笑ましいのう、と眺め歩いていたら、なかなか面白いものを見つけた。
 300×500×60ぐらいのグーテンベルク聖書みたいなサイズのダンボール箱にグリコ調の印刷をほどこし、菓子を詰め合わせて男の子・女の子用のオマケを同梱してあるのだが、その後者のオマケが、ジェニーなのだ。いや正確にはシオン(スウィートバンビーニ2)。リカちゃんもあったが、まぁそれは無視。
 我が相方、人生の片棒担ぎたるねこまは、人形好きで、わけてもこのシオンが非常に気に入りなのだ。どのぐらいかというと、このシリーズばっかり7体も買い、箪笥の上を占拠して彼女達の部屋をこさえるほど。「ヴァーリィの『バービー』教団か?」とか揶揄するとぶん殴られるほど。「ジーク・シオン!」とか茶化すと蹴りをくらわされるほど…いや、後が怖いからここらにしとくが、まぁそういう調子なんである。
 それが、オマケの菓子つき…って逆か、菓子のオマケとして計1,000円也。ちょっとアイプリントは雑だし髪も整ってないが(と密かに人形趣味なチェック)買わぬ手はあるまい。
 …もし相方の気に入らなかったら、改造の練習用素体にしてもいいしな。うむ。
 と、胸算用しつつ持ち帰ったが、結局召し上げとなったのは言うまでもない。シオンマニアおそるべし。

 夜に入って『踊り子の死(ジル・マゴーン/著、高橋なお子/訳、創元推理文庫)』を読了。
 あるところに2組の男女がいました。トラウマやら社会的立場やら結婚生活の破綻やらを抱えていても、いまどきごく普通のかれらは、いまどき流儀でごく普通に恋をしたり執着したり怯えたり悩んだりしておりました。でも、ただひとつ普通じゃなかったのは、かれらは殺人事件の真っ只中にいたのです…とかギャグにするのもどうかとは思うのだが、筋を語るとネタバレになりかねん。ここは我慢である。
 さてその事件の展開はというと、淡々と静かに語られるが退屈の一歩手前で人を逸らさず、じわりじわりと興味を掻き立てる。そしてふいと現れた証拠とおぼしきものに読者が飛びつくと、またふうわりと身をかわして謎の闇へと紛れ込むのだった。誰をも疑わしく見せる手腕も冴えており淡白にして精妙、なかなか結構なお手前である。
 タイトルもまた淡々としている。が、読みおえて振り返ると、フーダニットに振り回されて思いやらずにきた「彼女」に気のとがめを覚える、なかなか含みのあるものであった。同じく踊り子にたとえられたもの同様、冷たい風に飛ばされたのではなかったかと。

1月8日(水) 曇時々晴
 昨日の「1,000円シオン」に味をしめた相方の指令を受け、昼休みに再びショッピングモールへ赴く。幸い、くだんのGGB(グーテンベルクグリコボックス)は2つ残っているようだ。おおよしよし、ペイントや髪のコンディションの良いものを選んで…と速攻で手にとったら、傍らの平台に同じものが山積みになっていた。いささか恥ずかしいのう。
 面白いのが、圧倒的に男の子用が残っていること。電車の玩具というチョイスは確かに微妙なハズレかもだな。なにせほんの2、3歳のチビでも自分の好きな車種を明確にするものだし。もちろん自動車好きな子は、チェックも入れんかもだし。ついでに言うと、電車が好きな子供でも、単体じゃなく線路や風景キットで拡張性があるほうが嬉しいのじゃなかろうか。いや、長じても電車好きなおとな子供たちを見ててそう思うんですけどね。
 また、リカちゃんが1体しか残っていないのも興味深い。やはり子供にはああいう、いかにもお人形らしいパッチリ目が好まれるのか。いや、もちろん、やっぱりおとな子供なおねーさん達その他(例:僕)が買い占めていった可能性も大きいのだけど。

 帰路、ヨドバシカメラへ。ゲームの棚をひやかしていたら、相方の大好きな『ワイルドアームズ』シリーズ3作目の「アドバンストサード」を発見。僕も嫌いじゃないんだけどね、あの口笛のメロディとか「はいよるこんとん」とか。ただ、自分でやりこんでないゲームはいまひとつ、と思いつつ、廉価版(オリジナルは確か1年程前)なので買ってやろうと手にとる。
 で、レジへ移動の途中で、ワゴンにソフビ人形が山盛りになっているのに出くわした。モノはウルトラ怪獣と仮面ライダー系。一見してあまり面白いキャラもいないし廉くもないな…とは思いつつ、ちょいとチェックしていたら、妙なものを見つけてしまった。ガタノゾーア。しかも分類が「邪神」って…いいのかこんなんTVに出して?
 旧支配者つながりということで、これも求めることにした。どっちの作り手にもあまり喜ばれない縁かもしれないけどね。

1月9日(木) 晴
 妙に暖かい日。3月ぐらいの陽気である。この時期の常の装備で戸外へ出ると汗ばむほどだ。道路の雪は解け、非常に歩きやすい。しかしこれで喜んでると、夜に入って一気に冷え込んで、見渡す限り鏡面の世界…ってことにもなりかねないのだよな。げに北国の冬は人を疑いぶかくするものであるよ。

 昼時、いつものショッピングモールへ。ゲーセンにはめぼしいものがなく、早々に餌を求めて食品売り場へ移動の途中、やっぱりと言うべきや玩具売り場に引っかかった。999円均一の山の中にバービーを見つけてしまったのだな。しかも着替えや小道具が数点ついていて「追い剥ぎ」用としても悪くない…って、いつの間にか自分の趣味のように検分しておるな。ううむ、危険である。主に財布が。

 夕刻、相方から体調が悪いとのメールが入り、向こうの職場へ立ち寄って連れ帰る。部屋を暖め布団を敷いて湯たんぽを入れ、喉をとおりそうなものを用意し、テレビをつけ魚に餌をやり今日の戦利品を見せ…とちょいちょい立ち回っていたら、その僅かな間に僕の席に猫が毛玉を吐いてくれた。見事なトラップ設営である。ええ、座りましたともさモロに。畜生。
 今度は貴様の座布団にトリップ・ワイヤーを仕掛けてやるからな、と陰湿に呟いてみたが、知らん顔をされただけだった。この家での人間(とくに僕)の地位の低さを再確認しつつ寝る。もちろん猫が腹の上に乗ったのはいうまでもない(泣)

1月11日(土) 晴
 一昨日から不調の相方は、本日も床の中。少しずつ好転はしてきているものの、朝は全く声が出なかったりして驚かせてくれる。どのぐらい出ないかというと、風邪の時のお約束である「コンバンハ。モリシンイチデス」も出来ないくらい…って、小学生なみのことを四十路を前にやってる僕って何者でしょうか。<ばかもの

 とまれ、まだ関節も痛く病院に連れて行かれるのも嫌だというので、口に入る限りのものを飲ませ食わせて寝かせておくしかない。なるたけ動きを少なくできる位置に床を取り直し、手の届く範囲に必要なものを揃え、これで良しと立ち上がったところで、相方はずるずると寝床から這い出してきた。う、なんか怖いぞ!梅図かずをか何かの漫画に、こういうの無かったか?
 ねこま「………」
 ってキミは何で書棚にとりつきますか。んで何を手に取るかと思えば、よりによって『こんなこと、だれに聞いたらいいの?(セシル・アダムズ/著、春日井晶子/訳、ハヤカワ文庫)』だったりしますか。そりゃ小ネタ満載でちょいと毒気があって面白いけどさあ、キミは今、風邪でお休みしてるワケで。
 ねこま「………」
 いや、はい、僕もやりますけどね寝たきりになっても。でもキサマは禁止。
 ねこま「………」
 ふはははは!悔しかったら何か言ってみ(殴打)

 こういう病人とひとつ部屋でいるのも危険なので、一段落したところで奥の間(物置・書斎・作業部屋)へ退避。去る年末の水害の事後処理など行う。とはいえ水気を吸って凍ってしまった床はもうどうしようも無いので、被害が拡大しそうな地域へ避難勧告を出す。どういうことかっつーと、床に積んであった本を片端からダンボールに詰め込んで、安全圏へ積むわけだ。
 さりとてこれも重労働、しかも汗はかくわ、場所によっては寒いわで、なかなかリスキーな感じである。どっちを向いても風邪の危険がてんこ盛り。ひょっとして運命と戦っているんでしょうか僕?

 ところで今回、食事の調達のためにコンビニやスーパーをウロつく仕儀となったわけだが、今さらながら冷凍食品の充実に驚かされた。うどんや雑炊や雑煮といった鍋物も出ているし、以前からあるものも格段に味が良く(かつ調理が簡単に)なってる。発売元ではさぞや弛まぬ努力が行われているのであろうな。いっぺん見学してみたいものだ。ひょっとしたら見るに恐ろしい食い物地獄で、目にしたが最後、帰してもらえないかもしれないが。<をいをい

1月12日(日) 晴時々曇
 今日も相方は復活せず。どころかゾンビのようにシワガレ声を出しながら寝床のうえでずるずると蠢いているのは、なかなか鬼気迫る光景である。あなおそろし…と思ったが、よく見たらまだ目覚めないまま、足の上の猫の重みから抜け出そうともがいているのだった。う〜む、猫を飼う人はみな夜中にこういう死霊のはらわたみてぇなアクションしてるワケか。<他人ごとではない

 例によって『ハリケンジャー』『龍騎』を眺める。前者はなべてこともなし…というか、最終回を前にして盛り上げようとして、空回っている印象がある。なんかこう、これまでザコ相手にしてきたことの繰り返し、新味が無いんだよね。
 対する『龍騎』は驚異の展開。まさかここで主人公が死ぬとは。映画同様に死を選ぶヒロインは予測の範囲内だったが、これはな〜。あまりにも思いきった展開だ。この後1話、どうやって締めくくるつもりなんだろう。話の本筋よりそういう技術的なとこを考えたくはないけれど、やっぱり気になるよ、ねぇ。<誰に
 さはさりながら、話そのものも実に見せるものではあった。鏡をモチーフにした物語が、その終焉を前に幾つもの鏡像、しかも通常の鏡とは違うズレた画を結んでみせるその構成がいい。それはたとえば少し前に語られた真司と蓮の対決もそうだったけれど、今回、真司が少女を救い母親の手に戻す過程で、彼がライダーとなった時の事件が重なってみえることも然り。己を翻弄する運命のなかで確かに成長し、巨大な力に抗って闘い抜いた姿がそこに映る。結句、それは彼に己の決意を望みとして見つめなおさせたのではあるし。
 また、脇を固めた人々の存在も見逃せない。単なる狂言回し、刺身のツマのようなものと見えていたOREジャーナルの面々が示す「ひと」の心の優しさ。ことに編集長の言葉は、ここへきて確固とした結論をさえ導き出す。己の欲求にのみ忠実であるかのように飄然としてきた北岡の、おそらく死を覚悟し、後に残る人々の間から毒を抜き去っていこうとしてではないか浅倉との対決。それを苦悩しつつ理解する吾郎。
 そして、高みから超越者としてバトルを支配していた筈の男もまた、せつなる願いをもった者のひとりでしかなかったという、これもまた合わせ鏡のような図式がいい。特にこの場面の表現が良かったと思う。子供時代と同じ口調で独り取り残されることを拒絶する士郎の姿は、ことの始めから鏡が歪んでいたと、いかなる理由によってか親の手でたわめられた子供がそこに焼き付いてしまっているのを見せて酷く痛々しいものだった。
 さて次回はいよいよ幕切れ。鏡は砕けるのか、それとも歪なままでそこに残るのか。

1月14日(火) 雪
 帰宅途上、書店とデパ地下を散策。ついこないだまで正月の飾りがひしめいていたディスプレイが、バレンタインとひな祭りに塗り替えられているのを、いささか呆れて眺める。毎年のことなんだが、季節を先どって浮き身をやつす、軽佻浮薄なる商魂であることよ。とか言いつつ桜餅とか苺大福とかに吸い寄せられていくオマエは何者だって話もありますが。いやまあその、春らしくていいよねぇ。えへへへへ。

 しかし春めいているのは所詮建物の中だけ、一歩戸外へ踏み出すと降りつのる雪で前が見えない。しかもこの荒天から、明日以降は急激な温度低下へ移行するとやら。なんかこう、吹雪に向かって叫びたくなりますな。
 天は我らを見放したか〜〜〜っ!
 …元ネタも忘れ去られて久しいが、まぁひとつ。<何がよ

 『週刊 日本の天然記念物』先週分をやっとゲット。今回はイヌワシ。
 すごい。素晴らしい。翼を広げて滑空するワシの姿は実にリアルながら、涙が出るほど絵になってカッコ良すぎ。張り詰めた静寂、翼が風を切る音の無い轟きが感じ取れそうだ。背中側の模様がいくぶん大雑把だけど、このシルエットの前には文句を言う気にはなれない。やはりこのシリーズはいいですなぁ。

 今日はまたガシャポンで「十二支」なるものを見つけた。おみくじ代わりに1個引き、出たのは犬。柴犬だそうで、なかなか可愛らしい出来である。
 ただこの十二支、僕の干支がタツノオトシゴなのでガッカリ。辰ったら龍だよドラゴンだよ、虎と並べて絵にならねえだろうが!とダダをこねつつ、迫る誕生日に慄然とするのであった。うむ、なんか『龍騎』の優衣ちゃんみたいですな!
 …消えてなくなれ、ってツッコミはやめてね。

1月16日(木) 雪
 今年はインフルエンザが大流行とのことだが、僕の周囲では風邪が蔓延している。ねこまはもとより、勤務先でもだれかれと無くゲホゲホゼロゼロ言っている。なんかこう、『復活の日』か『宇宙戦争』かって雰囲気ですな。病人の容姿によって地球人か火星人かに振り分けということで。ちなみに相方は火星の合成人間てこt(殴打)
 ま、それはさておき症状のほうは、なかなかに辛いものがあるようだ。相方によると「熱がドーッと上がって鼻水がダーッと出てガーッとお腹にきたなと思ったらゾーッと寒気がしてグワーッと眩暈が」とのことである。なんか風邪の症状オンパレードって感じですな。しかしまぁ、この表現力の乏しさは何だろうか。擬音効果の風邪の声ってやつですかね。<ダジャレにするのもどうか

 とか悪態ついていたら、自分も何となく不調。昨日の夕方あたりから微妙に寒気がする。とはいえ昨日は早暁とはいえ最低気温がマイナス15℃に迫るような日だったから、寒くないほうがどうかしてるってモンなんだが。
 続く今日は寒さはさのみでもないが、空は一面鉛色で、そこから白いものがちらほらと、あまり元気の出るような天候でもない。
 こういう時は勝負事だ!とゲーセンに赴くも、いまひとつ調子が出ない。食指の動くような獲物が無いってのが最大の要因だが、なんかこう、ドーッと疲れるばっかりで…って。
 風邪だな、うん。

 早く帰って寝るべと思ったが、『氷の天使(キャロル・オコンネル/著、務台夏子/訳、創元推理文庫)』が終盤の佳境に入っている。とても寝ていられるもんじゃない。枕と猫の間で圧殺されつつ、読み了えた。
 『クリスマスに少女は還る』で惚れこんだ作家のデビュー作だが、生硬さや青臭さは無い。主人公のように、生まれたときからこの技量だったのか?いやマジで。
 さて本作、人種の階級の貧富のといった多くの面で「坩堝」の名が相応しいニューヨークを舞台に、連続殺人を追うのが縦糸。これに絡む横糸、つまり登場人物はとにかく色とりどりである。しかし、その色のどれひとつとして互いに染まらず混じり合わず、織り成される物語の中で確固とした個性を主張しているのがまず見事。
 わけても主人公が「かつてはストリートチルドレン、刑事夫妻に養育され現在は自分も警察に身を置き、天才的なコンピュータのスキルで犯罪を追う。だが特異なモラルの持ち主で、捜査のためならハッキングも辞さない。その容姿は、際立つあまり尾行に不向きなほどの美しさ」なんて、まるでコミックにでもありそうなカラーなのに、描き手の腕、話を壊さないどころか素直に魅了されてしまうのだ。挙動からは感情が欠落したように見える彼女、キャシー…(おっと)マロリーの、けれど亡き養父母によせる思慕の烈しさ、思い出さずにいる過去の重さ、そして周囲を取り巻く人々との様々な遣り取りなどなどがキャラの立体感を出しているからだろう。
 脇を固める人々も、特異な能力をもちながら半ば隠棲しているような頭脳派、足で捜査するタイプのたたき上げの刑事、謎めいた降霊術師にシニカルな老婦人集団と、こう書くとステロになりかねないのに誰もが書き込みの妙で決して平板にならず、いよよ際立ち、かつ思い入れを呼ぶ。いっそ陳腐に思えた邦題(いや実はこれが気になって、発売当初は避けていたのだ)が、これをも見越してつけられたものなら凄い話である。
 捜査の推移、導き出される結論、そして下る裁き。原題「Mallory's Oracle 」の皮肉に思いを馳せつつ、いさんで次の『アマンダの影』へと飛び込んだ僕であった。
 …あう。具合悪いのに眠れないよう。<バカ

1月17日(金) 雪
 いつの頃からか、静電気に悩まされるようになった。ドアノブに触ってパチン、自席のマシンに触ってパチン、同僚とディスクの受け渡しをやっててパチンと、なかなか鬱陶しい。つか最後のは危機感すら覚えるな。一度なんざぁ火花が飛んで、二人とも顔色無くなりましたぜ。他にも爪が欠けたこともありゃあ腕が上まで痺れたこともある。デンジマンだのエレキングだの電波人間(違)だのと冗談こいてるうちはいいが、痛い思いをしたり物が壊れたりするのは嫌だ。
 そこで、市販されている静電気除去アイテム(ぺんてる製)を買ってみた。チェーンごと握って、先端の通電ゴム部分を金属につけると除電が行われ小窓にスマイルみたいな顔が浮かぶものだが、これがなかなか効果のほどは確かで、今日は一度もパチンといわなかった。妙に面白くてつい何度もやってたりするのが馬鹿っぽい気もするが、まぁそれはユーザー責任だわな。
 で、ユーザーというのはひとつ満たされると次の欲求を見出すもの、これを応用して蓄電するような仕組みって、どうにかして出来ないもんだろうかとか考えるんである。シリーズ商品にはLEDランプつきのがあるけれど、これはそういうもんではないし。省エネルギー、地球温暖化阻止が叫ばれてる昨今、人力発電の活用を!
 …誰だ「自家発電」とか抜かしたヤツぁ。

 夜、TVで『シックス・センス』を半ばぐらいから観る。オリジナルで目にしてないにもかかわらずカットが分かるという極悪TVサイズではあったが、なかなかに楽しめた。
 上映当時から「ラストは秘密」がキャッチコピーだったのは頷ける。スプラッタ調の幽霊ぞろぞろ、ホラー映画のこしらえで持ち上げておいて、ラストがこれだものな。最初っから明かしてると『素晴らしき哉、人生!』『オールウェイズ』『ゴースト』『天国から来たチャンピオン』その他多くと同じ系統に仕上がってしまうワケだが。ミスディレクションお見事というべきだろう。
 あと特筆すべきは雰囲気づくり。音楽と幽霊の出現とを幾度も印象付けることで、終盤の交通事故の場面では「今来るか、何が出るか」とドキドキさせられた。今にも目にするであろうものを観客に想像させてしまう、ほとんどパブロフの犬扱いなんだが、この引き込み上手はすごい。廉価版のDVDが出てたら買ってもいいな。
 ところでこれ観て『ペット・セメタリー』思い出したのは僕だけでしょうか?あの時もこの少年がいれば、パスコー君の努力も報われたであろうに…ええ、ファンなんですよ地味に。原作より好きな唯一の点かも。

1月18日(土) 曇
 その昔、エーゲ海に沸き立つ泡(の材料はさておいて)の中から美と愛の女神は生まれたという。では現代の混沌と暗黒の海である大都会からは何が生じるのか。麗しい貌に鋭い牙を隠した暗黒の女神が顕現したとて、何の不思議もあるまい。
 …いや、こういう三文詩人っぷりを晒すと、たぶんそこに存在しないモノのように無視し去ってくれる現実的で即物的で論理的で、なおかつ魅力的な女性警官が登場しているのだけれどね。ってことでキャシー(と呼んではいけない)・マロリー・シリーズ2作目『アマンダの影(キャロル・オコンネル/著、務台夏子/訳、創元推理文庫)』読了。
 前作同様、マロリーは独立独歩かつ強引、人もあらぬげに事件を追う。目的のためなら手段を選ばず、己の規範に沿ってのみなされるその行動は、ある意味、病んでいる。どころか情緒的に欠落した社会病質者そのものですらある。一歩踏み外すと犯罪者に?いやいや、彼女は犯罪者を狩っているだけで、ある意味現役の犯罪者でもある。だからこの物語を分類するなら、警察小説というよりはロマン・ノワールだろう。魅せられた男たちが自らの良心をさえ偽って彼女に手を貸してしまうさまも、そんな思いを強くさせる。女神の座す山車の、その車輪の下に身を投げ出すに等しくはないか?
 とはいえ彼女にも彼女なりの愛や誠実があり、またその表現は驚くほど純粋だ。かつての住まいに灯った明かりを見つめるその姿など、ついうっかり涙ぐみそうになってしまう。養父の親友達が彼女を愛してやまないのも、むべなるかな。
 かくて読者の一人もまた、二つの事件に立ち向かう彼女の姿を、まじろぎもせず追う羽目になるのであった。いや、面白かったです。続巻を探して読む予定なので、その続きもさっさと出してね創元さん。

1月19日(日) 雪
 『仮面ライダー龍騎』最終回。面白かった。
 まぁ、斜に構えて観るのなら「お約束」ではある。が、それで悪いこたぁないと思う。ひとつの形になって、かつ観る者に考えさせるものがあって、物語としてもしっかりとした終わりを見せられたのだから。
 人が、何を犠牲にしてもという望みをもつこと、その重さ切なさ罪深さは、この1年で十分に語られてきた。そして、神崎士郎と優衣の会話から、幾度もそれらが繰り返されてきたことが察せられ、無数に断片化した世界の、やりきれない像すら浮かぶ。スペシャルや映画で描いたパラレルは、この像のひとつに他ならないだろう(思い返せばこの作りも、モチーフが鏡なだけに上手いやね)。
 物語は、その全てに「願い」という名の答えを与える。犠牲など要らない、ただ純粋な願いだけ。そして鏡はもはやおぞましいものを映すことはない。そこにうかぶのは、ただ偽らない己の姿、自分の望みのために生きてゆく人間のみ。かれらがこれから成す選択、生きて見つけ出しかなえようとするだろう願いに幸あれと思えた時点で僕には満足できる幕切れであった。
 ただ、あえて言うなら、おそらくはその繰り返しの、今回初めてのイレギュラーファクターであったろう真司について、ふれてほしかったかなと思わないでもない。主人公だからって以前に、全編を通じて迷い悩むことで士郎の完全な対極の存在であった彼が、あの結末を呼んだのでは…と思わせる部分があってもよかったんじゃないだろうか。「また」優衣が拒むであろうことを士郎に叫んだのは、まさに真司であったわけだし。
 自転車に負けてるだけの男じゃないんだよな?な?

 ところで今日は終日、雪。ふわりふわりと舞っている一片ずつは美しいが、ふと目を離してまた眺めると、恐ろしくなるほどの勢いで降り積もっている。明日出社するのがイヤになる…って、これ書いてる時点で翌日で、しかも出社して仕事中だったりもしますけど。うう寒い。<寒いのはアンタだ

1月20日(月) 晴
 スーパーの食玩コーナーをぶらついていて、リーメントの『ぷちサンプルシリーズ:街のデザート屋さん』を発見。かねて出来が良いとコレクター仲間に聞かされており、またねこまが楽しみに待っていた一品、これを買わずにどうしようとカートンで取る。横でキャラ商品をためつすがめつ見ていた女の子が目を大きくしてこっちを見たが、まぁ気にすまい。もしかしたら、あの子のお母さんは後で自分も沢山買ってくれとねだられて往生したかも知れんが…まぁその時は「早く大人になって自分で箱買いしなさい」と言い聞かせてくださいお母さん。<それでいいのかよ
 今日はまた、カバヤの『ウッドメイト』というのも発見。その名のとおり木製の、家電などをかたどったマスコットなのだが、これが実に可愛いらしい。デザイン以外に、ちゃんと机周りで使える小物であることも嬉しく、ついクリップ入れのロケットなんか買ってしまった。中に磁石が仕込んであったりして、なかなか本格的である。量は沢山入らないし、蓋を取ると戻すのにちょっと手間取るが、使い勝手は二の次で良い。ロボットなんかもシンプルな顔つきで、机の上にぽいと置くのに良いだろう。
 ところで、こうして改めて机の上を見ると、パワーパフガールズとか『龍騎』キャラとかセミ人間とかMIUのマッコウクジラとか、なんか纏まりがないものがゴロゴロしている。まぁ、これが僕という人間の表れだとすれば…って、そんな表れはイヤですが。

 ところで『街のデザート屋さん』は結構よく出来ていた。ただ、モンブランとか氷イチゴ(宇治金時の色違いバージョン)は1/6ドールにはちと大きすぎて、相方のニーズには合わなかったが。しょーがないから僕の手元のミリタリーフィギュアたちにでも…って似合わねーよ!

1月21日(火) 雪時々曇
 調達しといた『死のオブジェ(キャロル・オコンネル/著、務台夏子/訳、創元推理文庫)』の優先権を相方に主張され、『QED 竹取伝説(高田崇史/著、講談社ノベルス)』を持って出、往復の車中であらかた読み終える。
 日本という国を作り上げ支配した為政者達の所業や偽りを、文芸作品に残る痕跡から暴きつつ、現代での犯罪を解くというシリーズもついに5作目(『ベイカー街の問題』は番外だろう)。いよいよ脂が乗って…くれればいいんだが、妙な慣れ/狎れが生じてしまっている気がする。全般に雑とはいわんまでも大掴み。結論ありきで話を組んで、足場を外さず人目にさらしたような。常の如き論考や仮説、薀蓄ぶりは楽しいんだが、それが話にしっくり馴染まず活きてない。せっかく盛り上げておいて全て「言霊」をキーワードに押し切ってる印象があるんだよな。
 あと、回を追うごとに妙にトーンが暗く沈みがちなのも気になる。古代に行われたこと、それによって形づくられたのが風習や年中行事だという仮説によって毎度憂鬱になっているヒロイン像というのはなぁ。というか、彼女の主体性が回を追うごとに失われてるような気がするのは僕だけだろうか。それともこれは探偵役が彼女にそういう「呪」をかけていくという、陰鬱な裏切りの物語なんだろうか。それって、ちょっとイヤだよな。 <ちょっとじゃねーよ
 ま、今も昔も変わらず辺境の地、もとより蜘蛛の子孫と開き直ってる身には理解できない憂愁なのかもしれんけどね。

1月25日(土) 曇時々雪
 空はどんよりと暗く、時折はげしく雪が吹き降ろす日。朝方は上天気だったのだがなぁ。しかし気温はそこそこ高め、変温動物の活動意欲もそれなりに上がってきたので、せっせと家内の整理整頓と掃除洗濯に勤しむ。なんせ相方が風邪で寝てる間に、いまどき流行りの「汚部屋」になっちゃったからねぇ。え?流行してるワケじゃない?つか誰が変温動物だおい。<オマエ
 床に散らばった読みさしの本や雑誌、椅子の背にかかったままの服などをより分け片付け、ついでに箪笥や押入れの中にも手をくわえ、部屋の隅で物に埋もれていたアームチェアを物置に疎開させて一件落着。おお、なんか実面積が二割ぐらい増えたではないか!
 帰宅した相方にどんなもんだと自慢しまくり、かなりの敬意をかち得たが、ほどなく空いたスペースにヤツの手回り品が並び始め、ついに占領地と化すのを見て愕然。
 なんかこう、シムピープルでこういうシチュエーションがあったような気がする。大きな違いは、シムならばコマンド1発で退去させられるということですけどね。

 夜、昨日録画しておいた『千と千尋の神隠し』を観る。なるほど、評判になるだけのことはある。ちょいと繋ぎが気になるが、場面ごとに「次は何が」と引いてゆく、これは物語と演出の妙といえよう。
 が、この話が好きかと言われたら、僕はそうではないな。何故って、とても怖い話だからだ。
 この物語には子供が幾人か出てくる。そして皆、スタート地点では不幸だ。話に登場した直後の何もできない千尋はもちろん、小さな旅から帰るまでは立つこともしなかった坊、帰属する場所も名も姿も持たずそれゆえ貪婪の塊と化すカオナシも含めて。
 そして、ヒトでない子供たちは、やがて帰る場所を見出して幸福に彼岸に立てる。けれど、そうした他者を導くまでに育ち、ものごとを見極める目をもってしまった千尋は?
 牧歌的な映像と美しい歌声で締めくくられたことで安心なんかできはしない。ラストシーンの川は既にコンクリートの下に消えた。描かれていない部分ではあるけれど、そうして生地を奪われ湯婆の処へ弟子入りした、その時のハクを想像すると身の毛がよだつではないか。そういう憤りはきっと澱のようにこの世に積もっている。たぶんどこかでさらに多くの龍が己の存在を失っているゆえに。
 そんな「現実」=「事件を記憶せぬゆえ、豚のような部分をそのまま残した両親(そもそも始めから娘を邪険に扱う態度が多くねぇ?)」は何一つ変わりはしない。それが待つ此岸、子供の不幸をこさえあげている大人たち、神をクサレに変え、挙句意識から消してしまうような人間たちの中、作品に非常に分かりやすいメッセージを込めている作り手の見せた「おぞましいもの」が取り巻く世界へ、少女が一人で戻っていく。
 恐いじゃねえか。ものすごく。
 希望をもつにはあまりにも無理がある締めくくりだ。帰るなよ千尋。よしやモノノケ集団の中で杜子春やダンテまがいの歴程をせんとも、あんな親よりゃ神隠しのままのほうが幸せじゃないか?
 物語として、強引に型にはめた結びでしかなかったと思う。神去かりし地に住まう不幸は、きっと作り手にこそ目の当たり見えているだろうにね。
 …もしかして、子供が嫌いなんですか?

1月26日(日) 晴
 昨日、気合を入れて働きまくったので今日は非常に平安である。がしかし、朝寝を楽しもうと思っていたのに、いつもの出社時刻にぱっちりと目が開いてしまった。うむ、正しい社会人であるな。畜生ちくしょう。<どこが

 『ハリケンジャー』と本日スタートの新ライダー『555(ファイズ)』を観る。前者は御前様の敵討をひとり胸に燃やし、サタラクラを道連れに壮絶な死を遂げたシュリケンジャーの話…なんだが、イマイチ燃えない。ってか御前様登場ちょっと前あたりから、この作品自体のトーンがびみょ〜んな感じになっていたんだよな。以前はキッチリ「お約束」を踏まえつつ、めまぐるしいほど盛りだくさんな展開をみせていたのに、回想シーン多用なんかで妙に間がスカスカした演出をしてくれてなかったか?ラスト目前にして、見てるこっちがダレちまってるよ、うむ。
 対して『ファイズ』は、謎とヒキに溢れた、なかなか良い感じの出だしである。怪しい研究施設で作られたライダーベルト、これを狙う異形の敵・オルフェノク(この造型がゴシック風の彫像めいていてカッコイイ)。何故かベルトを持って旅する少女(えくぼが可愛い)。同じ形のバッグと取り違えて彼女に出会った主人公(ちょっとキムタク似)。死して蘇り、目覚めて全てを失ったことを知り絶望しつつオルフェノク化した青年。うむうむ、なかなか盛りだくさんじゃあないか。終了までに全部解けるのかな!<おいっ
 他オルフェノクによる殺しのシーンも不気味で良かった。一昨年の『アギト』のスペシャル版でやったのと似てるけど、ヒトが砂になってざらざらと崩れるというのは結構恐い。どうやら心臓を抜き取ることがそのきっかけとなるようだけど、次はどういう効果でやるのかな。楽しみなこってある。<変態

 ところで、先週終わった『龍騎』について、各方面で友人知人と語らうこと多く、「面白かったぜ良かったぜワーイ」な先週の感想ではどうもスタンスが分かりにくいというご指摘を受けた。ンなこと言われても、しょせんこの日記は本人の心覚えであるのだから、分かりにくかろーがヒヨってよーが間違ってよーが、それがその時の僕であり、説明しても詮無いんだけどね。
 まぁ、とはいうものの、自分の考え方ものの見方を落ち着いて書き直すのも悪くないもんである。以下、僕がアレを先週のように感じた理由ってコトで。
 ミラーワールドそのものの発端が「彼女」に起因した映画版、一部キャラクターの設定違いがあるSP版などを考えると、タイムベントによる「やり直し」は、かなり遠い過去にまで波及しているように思える。
 (この2者を抜きにしてTV版のみで語るのが、もしかしたら正しい作品の評価方法なんじゃないかな〜って気もするが、まぁそこらは置こう。良かれ悪しかれ、僕にタイムベントは効かない)
 この点から、今回のエンディングにおける真司や北岡の有り様は、十数年前に発生した「歪んだ鏡」の干渉の全く無かった世界として、「アリ」だと思うんだ僕ぁ。
 もちろん、何かを犠牲にしてもという欲望が、かつてライダーだった者たちに生まれそして育つことは大いに有り得るだろう。それ以外にも、名台詞「人間はみんなライダーなんだよ!」である以上、おのが望みのために他者を抹殺しようと思う人間も数多いることだろう。
 …いや、まさにあの瞬間、須藤が誰かを壁に塗りこめてるかもしれず、芝浦は誰かをそそのかして殺人ゲームに引き込んでるかもしれず、画面に登場した浅倉だって東條だって、誰かを傷つけて意気揚々と引き上げてく途中なのかもしれず、ではある。
 それでも、エンディングのあの(血で購われるバトルが終結した時点とたぶん同じ)時間、真司の周囲でだけは、何も起きていない。そして、人の力で及ぶ範囲でしか、もう事は起こらない。何故なら、そこにはライダーという超常の力は存在しないから。
 ただ、かれらを忘れずにいてくれる人の記憶の中に還る場所を見出した神崎兄妹の願い(それは二人ともにこの世から消えることでもあるのだが)がもたらした、つかの間の平和。ハッピーエンド至上主義にしてはドス黒いような気もするけど、これが僕の『龍騎』に見た終幕の画である。

 ま、しかしだ、答えが一つじゃないってのは、そもそも『龍騎』のテーマの一つだと思う。
 だから考えればいい。迷えばいい。その過程自体をも楽しめばいい。議論百出。何を選ぶのもお前の自由だ。戦え!
 …いや、嘘です。もう戦うのはやめましょう。メンドくせぇし。<おいっ

1月28日(火) 曇時々雨
 大型の低気圧が北上してきた影響とかで、なんだかものすごく暖かい。最低気温がプラスだってだけでも驚きなのに、日中の最高気温が7℃だってよお立会い。なんだってんでぇべらぼうめ。雪まつり準備の方々お気の毒様です。
 さて、そんな中、今日も食玩・ガシャ・キャッチャー漁り。前振りは何だって話もありますが、時候の挨拶はお約束ってことで。<挨拶じゃねえだろ
 食玩は「新・タイムスリップグリコ」。狙いのブツは、2個買ったうちの片方が見事に当たり。しかもカラー。出来も素晴らしいのひとこと。陰影に富む情景、躍動感溢れるキャラクターのしなやかかつ滑らかな曲線…ってケムール人なんですけどね、はい。
 ちなみにもう一方はC-62ニセコ号。某ソフトハウスがバブリーな頃に社長の趣味でその故郷に走らせ、左前になったとたん廃線となった可哀想な汽車ポッポである。もっとも、それが無ければ今ごろとうに鉄屑にされていたかもしれないが。
 ガシャはセサミストリートのキーチェーン。メダル状の金属板にキャラがプリントされてるだけのものだが、このテの商品には珍しく僕の好きなキャラが入ってるのでチェック。カウント(数字の大好きな吸血鬼)なんだけど、これも2個買ったら当たり。
 〆のキャッチャーはお風呂セット。ソフビ製のブタとカエルの各2種類で、石鹸用のトレーと人形が組み合わせてあるんだが、一緒にパッキングされてる浮き輪がちょうど1/6サイズなんだこれが。しかも結構デキがいい。さらに300円で2個ゲット、これをもって今日の当たり率は1/2を上回ることになった。えっへん。
 なお、我が相方においては、この最後の件のみ評価が高かった。ふん、ケムール人の曲線美が分からんとは素人め。
 ねこま「そんな玄人なりたくないし」
 …ごもっともである。

 ちなみに今日はフェイスの「幸せの駅弁」というのも手にしたのだが、デキのほうはイマイチ。サイズが6/1にはデカすぎるってぇのはワガママとしても、中身の造型も塗りも雑で、ちっとも食べ物らしく見えないのだ。パッケージだけで楽しむしかないな。
 とはいえこれは相方がゲットしたので、僕のスコアには入らない。さぁ、明日も頑張るぞ〜!<ええんかソレで

1月30日(木) 晴時々雪
 『死のオブジェ(キャロル・オコンネル/著、務台夏子/訳、創元推理文庫)』読了。シリーズ3作目をじっくりと終え、しかる後、あらびっくりな展開である。ま、これは結末まで辿り着いた人のみが驚けばいいことなんで割愛。つかぜひ1作目から一気読みして驚いてくださいってとこだな、うむ。
 画廊で人が死に、アートに見立てられる。かつてのおぞましい事件との類似は同一犯によるためか。背後に潜むさらに暗澹たる現実を追って捜査は進み、けれど事実の欠片を握る者は誰もが口を閉ざし、また、その背景を知られたくない者達は執拗に妨害を繰り返す。作者一流の鋭い舌戦から政治的圧力、組織の脅迫からフェンシングでの立ち回りにまで至るこの攻防が、どれも緊迫感あふれていて目を離せない。
 また、今回はいろんな意味で泣かされるシーンが多い。僕はある電話のひとことで、不覚にも涙が出そうになってしまったのだが、他にも名場面は続々。クールを通り越して己の感情にさえ無感覚なマロリーと彼女を愛する不器用な男(たち)の交流には、彼感情移入しまくりでドキドキしたり胸苦しくなったり切なくなったり忙しかった。そして事件に引き裂かれた「母」と「子」のもはや埋まらない距離。血の繋がらない親子の消えない絆に対する非情な攻撃。あと、大都会の汚濁の中を泳ぐことに慣れながら、それを利する寄生虫には堕ちずに踏みとどまる者たちの仲間意識が「来ます」ぜ。出番はあまり多くないけどコフィー警部補がとにかくいい!あんた漢だ!
 ちょっとキテレツ人種が多すぎる気はするけど、それも込みの目くるめくような流れで読み手を振り回してくれる。が、そうしておいて、話が「あらびっくり」で終わっちまってるもんだから始末が悪い。先が読みたくてしょうがない。早いトコ出してください創元さん。

 夜、『「超」怖い話 A(平山夢明/著、竹書房文庫)』を読む。大好きな「現代の怪談集」が出版社を替えて新規出発、嬉しい限りである。今回あまりざわつくような怖さが無かったのがちと残念だが、童話じみた猫の話がちと好みである。猫にまつわるこのテの話はメディアファクトリーの『新耳袋』にもあるけれど、怪異など信じていなくても「あるかも?」と思えるのが面白い。まぁ我が家のバカ猫どもには、あと10年生きてもムリだろうけれど。


翌月へ




[ 銀鰻亭店内へ ]