過日の備忘 2017  [上]に戻る
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 日記的なものとか、書籍やビデオやゲーム等のちょっとした感想みたいなものとか。

2017.06.16 記

「狭い日本にゃ住み飽いた/俺も行くから君も行け」

 …小松左京『日本沈没』で知った言葉。
 検索すると、昭和の初めに流行った『馬賊の歌』という題の歌、らしい。

 「テロ等準備罪」(俗称は共謀罪(平成)、あたりになる、のだろうか?)の成立に、この一節を思い出していた。

 上の歌では「隣の大陸」の可能性を謳っていたが、現代に、どこか行く先・新天地は、はたして存在するのだろうか。

 地球の「外」で生きる手段は、未だ無い。

 平和的共存と自治独立を掲げる、完全人工海上浮遊都市を構想し実現する大富豪・組織が、どこかにいないだろうか(苦笑)。…油田櫓類(?)で建国を宣言した人(?)が昔いた、ような。

2017.04.05 記

 『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ2期』の展開に、とても不満を覚えました。
 でも最後の落とし処は、それなりに納得できてしまいました。
 そこで、2期の展開を、自分なりに納得できるものとして改訂・考案してみたのでした。

 [機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 思案/私案/試案]

2017.03.12 記

 FireFox が旧来のアドオン/プラグインのサポートを終えて行っている。
 参考1: http://gigazine.net/news/20170308-firefox-52/
 参考2: https://www.mozilla.jp/blog/entry/10571/
 参考3: http://toyokeizai.net/articles/-/161521

 ブラウザは、より無個性化(chrome 化?)して行くのだろうか、と、「Chrome, Opera, Edge など他のブラウザのアドオンと同一の API をサポートしてブラウザーアドオン開発者のエコシステムを拡大していく」(上記・参考2より)という文言を目にして、思ったりしました。

 ブラウザの共通化/無個性化…OS化? …ネット/ウェブのUIとしてのブラウザ…OSはネット/ウェブのシェル(殻/UI)となる? と連想していると、昭和期(ネット黎明〜隆盛期)にSFが夢想し描写していたネット/ウェブ世界環境に、じりじりと/やっと/またひとつ、近付いているのかもしれない、と考えたくなりました。
 ハードウェア/OSは、スタンドアローンを(ほぼ)無くし、ユーザー/オーナーはネット/ウェブ世界のUIとしてしか、個々のハード/ソフトを意識しなくなって行く、的な。

 単独の/孤独な/それだけで完結せざるを得なかったPC/OSが、ネット/ウェブ世界の充実・敷衍・必須化に応じて、どんどんとネット/ウェブ世界の表層・UIへと特化・機能集中・均一化・無個性化して行っている、という見方です。

2017.03.07 記

 朝鮮民主主義人民共和国が弾道ミサイル4発を3月6日午前に日本海に向けて発射。
 参考: http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170307/k10010901201000.html

 上記の記事で、朝鮮民主主義人民共和国・指導部の、国営の朝鮮中央通信を通じた発表、ということで…
「在日アメリカ軍基地を攻撃する任務を担う砲兵部隊が、弾道ミサイルの発射訓練を行った」
「合同軍事演習を強行して情勢を核戦争の瀬戸際に追いやっている敵を弾道ミサイルの集中攻撃で報復する意思が、砲兵部隊に沸き起こった」
「精密化されたミサイルを次々と開発し、質、量ともに強化するための課題を示した」
…という談話(?)が記されています。

 これらの言動を惹起してしまう、朝鮮民主主義人民共和国・指導部が見ている・相対している「世界」は、どんなモノなのだろう、と考えてしまいます。

 特に「情勢を核戦争の瀬戸際に追いやっている敵」という文言に、国際情勢を見計る視点視野の狭窄・肥大した自己像を幻視する撞着・自身の絶対正義への無批判な耽溺、といった愚昧さを、どうしても覚えてしまいます。
 多分に対外的・政治的な「自覚的な・芝居がかった誇張表現(はったり)」であれば、まだマシですが(良くはないですが)。どこまで冷静・自己冷笑な視座で情勢を分析・把握・自覚しての言行なのか、どうにも不安です。

 肥大した自己評価、という点では、日本人の自己像についても、いささか以上に高過ぎる・世界が見る評価/世界の中の実像と乖離しつつある、のではないか、と懸念しているのですが。
 自己評価を、過剰に卑下するべきではない、でしょうけど、過去の栄光・栄誉にすがり、それが現在でも維持されているという謎の幻想や、個人の実績・栄誉を、日本人全体に敷衍・付与してしまう謎の性向、といった言行を見聞きすると、暗澹と言うか残念というか、そんな眼高手低は嫌だ、と思ってしまいます。


 *** 2017.03.08 追記 ***

 中華人民共和国にとって朝鮮民主主義人民共和国は、アメリカ合衆国の軍事力をアジア東岸に引き付けておく釣り餌ではなないだろうか、と仮定してみる。
 なんのための「釣り餌」か、と言うと、アメリカ合衆国の軍事力をアジア東岸に注力させている限り、中華人民共和国は、米国がアジア東岸に注力している軍事力の脅威を以て、自国の軍事的な拡大路線を正当化させる理由にできるから、である。
 中華人民共和国の持つ、現時点でも周辺諸国に対するには過剰(=不要)な軍事力であっても、対米を掲げる限り強化発展更新を推進できる・自国内や周辺諸国に対しての言い訳に使える、と考えているように見ることが出来るのではないか、とも見える。
 この仮定からすれば、中華人民共和国は、朝鮮民主主義人民共和国の現状を維持する方向にしか動かないのではないか、と考えざるを得ない。過激な活動は裏側で掣肘しつつも、大幅な弱体化・無害化に向けた行動を取ることは無いのではないか、と。
 中華人民共和国の軍拡の意志が変化すれば、中華人民共和国の、朝鮮民主主義人民共和国に対する行動も変わるだろうか?

2017.02.25 記

 ホワイトハウスの広報官は、定例記者会見をカメラなしの広報オフィス内会見に変更。BBC、CNN、NYtimes、LAtimes、ポリティコの記者を締め出し
 参考: https://twitter.com/gloomynews/status/835251648305881089

 アメリカ合衆国の社会的政治的な印象・外観の劇的(徹底的・狂的?)な自己改変に、とまどいと不安とを感じて止まない。
 国権の一時委任を、無思慮に私(わたくし)できたものと誤解して、気分と欲望に任せた不見識な暴政・愚政を重ねている、様にしか見えない。

 内向化,局地化,閉め出し、の先達はソビエト社会主義共和国連邦か中華人民共和国か。

 英国はEUからの離脱を標榜し、そのEUの加盟国もテロリズムや移民問題から自閉への傾倒を見せる昨今。

 同好の士(−−;だけの純粋な集団を目指す、のは、その集団が、自身の信条を絶対の正義として世界に徹底しようと決意して対外的な脅威を振りまき始めると、新興宗教やナチスドイツの悪夢を連想するが。
 参考: https://twitter.com/Sakai_Sampo/status/835270864480280576

 インターネットが幾つかの統括群(SNSやアプリなど)に集約されてゆく状況が進むという見解を連想し。
 参考: https://wirelesswire.jp/2016/08/55823/

 企業経営者な思考・志向・嗜好と経営手法の流行への適応からの、上記の方向性の想定・展開を、トランプ政権は見据え画策している? みたいな想像をしたりもするが、はたして。

2017.02.13 記

 参考: https://twitter.com/kamiumach/status/830700971831332864

 西暦の紀元(AD,BC)は、Anno Domini(主の年に)とBefore Christの略記で、イエス・キリスト生誕年(とされる年)の次の年を元年としている、らしい(Wikipedia より)。

 (……ADは After Death の略かと思っていたのはヒミツ)閑話休題(それはともかく)。

 参考の文を読み、キリスト信仰者は自身の肉体年齢が、磔刑時のキリストの肉体年齢を越えたことを驚くのだろうか、という疑問を覚えた。
 信仰者にとってイエス・キリストの「年齢」は、今年なら2017歳ではないのか、と。

2017.02.01 記

 参考: https://twitter.com/synfunk/status/825703880889495553
 参考: https://twitter.com/ShinyaMatsuura/status/826032656932442113
 こんなツイートから、少し考えさせられた。

 現実世界には全てが在る。インターネットという「世界」もまた、現実と同様に「全て」を認めるべきなのではないか。
 現実には偏見も差別も戦争も在る。「それら」は責められ罰せられ忌避される(ことがある)。インターネットにも在る「それら」の排除・排斥を、どう考えるべきだろう。

 Twitterは、「世界の似姿」という意味では、もっともインターネットらしい「場」(環境? 仕様? 機能?)なのかもしれない、とも思う。
 それ自身の意は顕彰せず(可能な限り)、可能であれば全人類の「漏れ言」を受け入れる、という点で。

 誰かをTwitterやインターネットから締め出したとしても、それが、その誰かの為になる/ダメージになる、だろうか疑問だ、と、今現在は考えている。
 誰かを締め出す行為は、締め出しを行った側の狭量・独善・強欲が、行った側の汚点として突き付けられるだけ、ではないのだろうか、とも。

 極端な見方をすれば、雑音はヘッドフォンやイヤホンで好きな音を聞いたりするとか、雑草なら自分の敷地に入った分は間引くとか、そんな感じで個人的な防御に徹するのがWinWinなのかもしれない、と考えたりしている。
 それで対処不能な害悪は、大概の人に対して等価に降りかかる類の災禍であろうから、どうしようもないが。

 (考察途上)