拾い猫の「ぼたん(漢字はちょっと重い気がする)」は、乳児から幼児を経て子供へと快調に成長中。顔と目の比率を決めかねているように、日々面つきが変わるのが面白い。今のところは、なんとなくキツネザルに似ている。
動きもますます活発化し、行動半径の広さも増してきて、相方と「攻撃に高さが出てきましたね〜」などとスポーツ解説者みたいなことを言ってる間に意外な場所へ潜入されてたりする。ラックの下、本の後、もちろんダンボール箱の中と所在転々。ソリッド・スネークかおまえは。いきなり飛び出して襲ってくるのはC4でも仕掛けるつもりか?
そんなヤツなので写真撮影などむろん無理、黒い残像だけが画面の端に写るばかり。なんか、こういうマンガがあったよな〜。
で、漫画といえば、先ごろの日本SF大賞を萩尾望都の『バルバラ異界』が取ったとのこと。それ自体は妥当と思うが、ニュースの補足で驚かされたのが、コミックの受賞は大友克洋の『童夢』に続いてたった2作だということだ。なんで何で?優れたSFコミックはそれこそ星の数ほど出ている、例えばこの作者にしてもこれに先立って『銀の三角』『A-A'』『X-Y』などの名作があるじゃあないか。過去の受賞作をみるに、失礼ながらさほどの名作力作ばかりが居並んでいるとも見えない。日本SF作家クラブも草創メンバーが「重鎮」化して、どこぞの文壇みたいに固いおツムになっちゃったのかしらん。
さてそんなSFコミック、かつて少女漫画と呼ばれた方面にも名作力作が多い。樹なつみにひかわきょうこ、清水玲子あたりはもう、斯ジャンルの顔ともなっているようだ。
で、この中に伍して劣らぬIfものと勝手に認定している『大奥 第二巻(よしながふみ/著、白泉社)』。奇病によって男女の人口比が狂った江戸時代、男女逆転した大奥を描く物語。今回はその発端である三代将軍家・家光の時代が舞台となる。
母や弟との確執、盲愛を注ぐ乳母への依存と反発、女嫌いを標榜の挙句に尼を還俗させて我がものとした横暴、そんな逸話が現代に伝わる将軍をこの異形の世界に置き換え、その立場に据えられた者の姿は…ひたすらに哀しい。ひとり「家光」のみならず、その周囲に配された人々全てがこの未曾有の事態に立ち向かうため各々の悲しみに耐えねばならない苦渋の中にあり、1作目の「奇想時代劇」の痛快さは求めるべくもない。よしなが作品の軽妙を好む人には、正直薦めにくくすらあるほどに。
たとえば作中、全てを取り仕切り支配しているかに見える春日局でさえも、自分がしていることの無残を重々承知していると見える描写が随所にある。後半の回想シーンでの彼女は、かつての竹千代ではなく今目の前にいる「家光」をなんと愛しげにしていることか。だが同時に、将軍家のため国のために為さねばならぬことは断固として行う、戦国生まれの(しかも明智に連なる)女の気概(いや、かの時代へ戻ることの恐怖か)もきっちりと描きこまれているゆえに、その残酷も徒なものとならず、読み手の胸に痛い。
そうして「家光」「春日局」「お万の方」の織り成す強烈なドラマの中、脇を固める澤村伝右衛門という男が、実にもって「サムライ」なのが、時代小説読みの性かひどく印象に残った。お家の為という大儀に従うべく幼子から母を奪い、まっすぐに育つことを奪い、人生の歓びをさえ奪った男が、その当の相手の命ずるまま、人殺しも通り魔の真似事も、挙句女装しての道化舞まで恬淡と表情なく行うその心情やいかならん。こんな風に思いやられてしまうのも描き方の妙によるものだろうと思いつつ、一本とられたなどと軽いリアクションを返すことさえはばかられるのであった。
それにしても1作目でちらりと語られた、たとえば衣服の柄などへの言及が次々伏線として活きてきたのはお見事としか。また、ことここに至って気になるのが、あの老人の素性である。名前を考えると、部屋付きの彼あたりか。ああ、なにかそのへんでまた、時の流れがヘヴィに語られそうな気が駿河大納言。<牽強付会な駄洒落
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