果ての谷 始まりの地 〜ガラン異聞〜 
《イシリウスの章》#1 / #2 / #3 / #4 / #5 / #6 / #7 / #8 / #9 / #10[完結]  [上]に戻る

 ***

 巨木、と言うしかない、ヴォラダイトで出来た樹が、闇の中に聳えている。
 結晶の内側から漏れ出す燐光で、根元の様子がかろうじて判る。盛り上がった土、外側に向かって走る亀裂、周囲に転がっている、一抱えもありそうな岩。どう見ても、その樹は大地を突き破って生え出たとしか思えない。
 (…音、いや違う、声?)
 いつの間にか、結晶の樹の周囲の闇に、無気味な声が満ちている。
 (苦しみ? 憎しみ? 呪い? 恨み?)
 その、負の感情だけで出来ている様な声は、巨木の上方、闇に消えている枝の先の方から湧き出していた。
 (何が、あるんだ?)
 目が慣れてきたのか、それとも結晶樹の燐光が強くなったのか、上方の闇が薄れ、枝先の様子が見え始める。
 そこに浮かび上がったのは、人の形をした無数の結晶樹の枝先だった。
 そして、その一つは。

 ***

「アイシス!」
 ルーンは、自分の叫び声に驚き、目を開けた。
 腕ほどの太さの梁が等間隔に並んでいる天井が見え、梁の一本に沿って視線を動かすと、割れ砕けた断面を見せる結晶の枝が視界に入った。
「あっ!」
 気を失う迄の記憶が蘇り、ルーンは急いで立ち上がった。
 部屋の中を見回すが、あの人骨の化物は見当たらない。
 視線を落とすと、上着が破れて垂れ下がっているのに気付いた。そして、
「何だ、これ…」
 ルーンの、化物の剣を受けた左肩と右腕を含む、胸から上の上体は、身体の形に沿った曲面を見せる、結晶の光沢を持った薄手の鎧の様なものに覆われていた。

【やっと、お目覚めね】
 その声は、ルーンの耳の奥で響いた。
「シーリス? 何処に…」
 ルーンは部屋の中を見回したが、シーリスの姿は見えない。
【私はあなたと一体化したの。そうしないと死んじゃってたからね】
「じゃあ、この鎧は」
【そう、それは私の身体だったもの。あなたと一体化して、変化したの】
「そんな」
【予定よりも随分と早くなったけど、もともと一体化する計画だったから、気に病むことはないわ】
「計画って」
【《竜》と戦うためには、こうなる必要があった、ってこと。そうしないと、とてもじゃないけど勝算は無いから】
「…これで、僕の何が変わるのさ」
【いろいろと、ね】
「ちゃんと説明して欲しいな」
【例えば…これ】
 その台詞と同時に、ルーンの意思とは関係なく、右腕が前方に突き出された。
 次の瞬間、右手の甲から手首を覆っている結晶の鎧が変形し、真っ直ぐな両刃の剣になった。その形は、懐に入れていた小剣に良く似ていた。
「この剣…」
【そう、あなたの造った剣よ】
「大きさが違う」
【あの小剣を元に造り出すものだから、大きさも、形だって自由に出来るわ。元々この力は、あなたの結晶細工師としての才能を使っているだけだし】
 ルーンは、右腕から生えている剣を見た。恐る恐る、左手を刃に添えて、剣先の整形を試みる。
 一瞬の遅滞もなく、剣先はルーンの意思通りに変形した。
【ね…じゃあ、今度は実戦で試しましょうか】
「実戦?」
【そう。ほら…】
 ルーンの視界が微妙に動き、部屋の奥の結晶の枝に注目する。
 シーリスが砕いたはずの枝は、いつのまにか復元していた。その、元通りになった結晶の内部に、人の頭蓋骨が埋め込まれているのが判った。
「骨が」
【…出るわよ】
 頭蓋骨を包んだ結晶が光を帯び、周囲に陽炎のような揺らめきが起こる。その揺らめきが収まった後には、右手に剣を持った人型の骨の化物が立っていた。

 出現した人骨の化物は、ルーンに虚ろな眼窩を向けると、右手の剣を振り上げながら踏み込んできた。
 頭上から襲いかかる剣を、ルーンも踏み込みながら素早く左手を上げて、相手の握り手を跳ね上げることで防いだ。
 その反動で化物の上体が開き、無防備になる。
 ルーンの右手から伸び出した剣が一閃し、化物の左脇下から右肩へと抜けた。
 斬られた胸の骨が鋭利な断面を見せながら左右に開き、化物の動きが止まる。そして次の瞬間、切断面から全身の骨へと亀裂が走り、人骨の化物は崩れ落ちながら消滅した。

 ルーンは、今の自分の動きに違和感を覚えた。
「こんなに上手く、戦えたっけ?」
【それも一体化した成果だよ】
「え?」
【私の持ってた戦闘技術が、一体化したことで、あなたの能力になった、ということ】
「それが…《竜》と戦う力、か」
【理解してもらって嬉しいわ。それじゃ、最初の《竜》のところへ向かいましょ】
「…判った。行こう、《竜》を倒しに」
 頭の中で渦巻いている疑問は、後から訊くことにしよう。今は《竜》を倒すことが最優先だ。
 そう気持ちを切り替え、ルーンはシーリスに応えた。

【それじゃ…これ、見える?】
 シーリスの言葉と同時に、ルーンの脳裏に、離宮を中心とした一帯の立体的な《見取り図》が浮かび出た。
「うん、見える」
【いま私たちがいるのが、ここ】
 《見取り図》の中の1ヶ所に、小さな人型が置かれる。
【そして、最初の《竜》の場所は、ここ】
 離宮の背後にある断崖の底に、ルーンを示す人型の数百倍もの大きさの、小山のような形のものが現れた。
「…大きい」
【図体は、ね。でも、それだけに動きは鈍いの。】
「それが弱点?」
【そういうこと。じゃ、行きましょ】

 途中、適当に部屋を物色し、幾つかの防具や食料を手に入れながら、ルーンとシーリスは離宮の中を断崖の方へと進んで行った。
 時折、井戸の底にいたような奴や人骨の化物と遭遇したが、シーリスとの一体化で感覚が鋭敏になったらしく、事前に化物の存在を感知することができたので、不意を突かれることもなく、戦わずに通過するか、戦いを回避できない場合でも、優位を保った戦いができた。

 緑色の、人の胴体くらいもある球状の塊に亀裂が走り、四方に割れる様に広がると、樹液に酷似した臭いが、ルーンの嗅覚を刺激した。
 その化物は、井戸の底にいたものと同種の奴らしかった。
 ルーンは、大きく開かれた化物の《頭部》の動きを注視しながら、慎重に接近して行った。
 化物は、痙攣する様に《頭部》を前後に動かしていたが、不意に動きを止め、次の瞬間、近づいていたルーンに《頭部》を突き出した。
 ルーンは、突き出された《頭部》を、左前方に踏み出して回避すると、右手の剣を水平に動かして《頭部》の付け根に斬り付けた。
 致命傷を受けた化物は、口を上に向ける格好で硬直し、結晶になって崩壊した。

「違うんだ…」
【何が違うの】
 何体目かの化物を、危なげなく倒した後で、ルーンが漏らした呟きの意味を掴みかねたシーリスが尋ねた。
「戦って敵を倒すことって、想像していたのとは違って、あまり気持ちよいものじゃなかったんだ」
【気持ちよいもの?】
「敵を倒しても、すっきりしないって言うか…上手く言えないけど、倒さないと倒されるから戦うだけで、きりがない感じがして」
【…それって、ふつうの感覚に思えるけど。戦い自体を望んだり楽しんだりするのは、異常でしょ】
「そうか…じゃあ、人間が異常なの、かな」
 国を挙げて軍備を整え、他国との戦争に備えることに意欲を見せる、人間たちの振る舞いを脳裏に浮かべながら、ルーンは、この感じに対する、納得できる答えは、自分で見つけるしかないのだろうな、と思った。

「この先、だね」
 ルーンは、離宮の断崖側に面した一角まで辿り着いた。正面にある扉の向こう側には、断崖を臨む部屋があるはずだった。
「行くよ」
 シーリスに、と言うよりは、自分を鼓舞するために、声を出して、ルーンは扉を開けた。

                                   つづく

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