須賀しのぶ ...last update 2007.11.03
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『流血女神伝 帝国の娘 前編、後編』コバルト文庫
購入:2000/07/09
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多分、本屋で目にした時から、ずっと[帝国の娘]というサブタイトルが気になっていて、結局、出版されてから一年ほど後に、最初の二冊を手に取りました。
舞台は(多分、地球ではない)架空の、複数の王国が覇を競う、中世的な世界。
主人公はカリエ・フィーダという、とても前向き(/勝ち気/負けず嫌い)な少女。小さな山村の猟師の娘(養女)だったのが、ある日、病弱な皇子の身代わりとして、その王子の生家に拉致されるところから、この物語が始まります。
この発端の展開だけでも、一人の少女にとっては十分以上に驚天動地な運命の変転ですが、カリエの受難は、これを序の口と言えるほどに、劇的な展開で続いて行きます(現在進行形)。
その成り行きの破天荒さも、個々の流れは決して無茶なものではなくて、そうなるべくしてなってゆく、それなりに納得できるもので、それ故に、私は現在も読み続けているのだろう、と思えます。
『流血女神伝 砂の覇王1〜9』コバルト文庫
1 購入:2000/07/10
2 購入:2000/07/15
3 購入:2000/11/03
4 購入:2001/02/06
5 購入:2001/12/13
6 購入:2002/02/02
7 購入:2002/04/26
8 購入:2002/07/27
9 購入:2002/11/02
2002.07.28
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2002.07.28、『流血女神伝 砂の覇王8』読了。
うわー、作者さま、サイテー(笑)。
今回の表紙は《水面に横たわる、うすものを纏った女性、の上半身》ですが、本編読了後に後書きを読んで、漸く「誰」なのかが判りました。うっひゃ〜、です(苦笑)。あとがきを読むと、絵描き様、サイテー(笑)、となります。
本当はどんな(検閲削除)だったんでしょ〜(艶笑)、と想像するだけで、口元が思わず下卑た形に歪んだり。あぁ、私もサイテー。
で。
「哀れなキャラ」は、私は両方だと思います…いや、やはり[へたれ]でも出ているだけマシ、なのかも。
2002.11.02
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2002.11.02、『流血女神伝 砂の覇王9』読了。
「砂の覇王」編、終了。最後のページの記述に瞠目。ちょっと、小野不由美《十二國記》講談社、を想起。
「砂の覇王」編の後半は、カリエが[おんな]になってゆくのが、興味深くもあり哀しくもあり。今回の表紙の《血の色の装束を身にまとい、短剣を右手に持って跪いた女性》はカリエ…なのでしょうね ( -o-)sigh 。
登場人物紹介の画を見ていて、ふと、バルアン=浅倉威、シャイハン=由良吾郎、などという「見てくれ重視」な見立てをしてしまい、苦笑。この「見立て」だと、北岡秀一はシャウル?(苦笑)。
「砂の覇王」編で、巻が進むにつれて顕著になっていった様に(私には)思われる「神の干渉」。
人は人の枠内で、波乱万丈な時代を生きて行っているのだけれど、そこに、非人間的な/意図の曖昧な「神の干渉」が重ねられ、主人公を筆頭に、人々の成り行きが偏向されてゆく、その「非情さ」。
2ちゃんねる(http://www.2ch.net/)の[掲示板/漫画・小説等/ライトノベル]にある[須賀しのぶ]スレッドを読み流していて、主人公の「自由闊達さ(?) 」が減っているのが不満、的な言及が目についたのだが、それは、「神の干渉」が主人公に及ぼしている影響を見ているのではないか、と、私には思える。
この[非人間的な超越存在による人間社会への干渉]が、作者が明確に意図して描いている/描こうとしているもの(のひとつ)であれば、私は、その「試み」に期待する。
『天気晴朗なれど波高し。』コバルト文庫
購入:2002/12/03
『天気晴朗なれど波高し。2』コバルト文庫
購入:2003/02/05
2002.12.04
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2002.12.04、『天気晴朗なれど波高し。』読了。
「砂の覇王」編の後半(『流血女神伝 砂の覇王5』の最後の方)から登場した、ルトヴィア帝国(主人公カリエの育った国)の海軍士官・ギアスと、海賊・トルハーンの、出会いの物語でした。主人公なのはランゾット・ギアスの方。
「愛と笑いと冒険の青春海軍コメディ」と惹句にあるのですが、内容的には「海軍に入隊し、士官候補生として船に乗る。ところが、船内で事件が起り、同僚のトルヴァン・コーア(=トルハーン)共々、血生臭い事件に立ち向かうことになる」感じで、あまりコメディなものではないです。ギアスのキャラクターが、《女神伝》本編よりも若々しく、彼の成長物語的な意味で[読ませる]作品だったと思えます。
2003.02.05
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2003.02.05、『天気晴朗なれど波高し。2』読了。
前作よりも「愛と笑いと冒険の青春海軍コメディ」テイストに溢れている、と思います。
終章は、衝撃的(『流血女神伝』本編を読んでいる人には殊更)な言及から始まっていて、ちょっと悄然としてしまいました。
あとがきに、
『この話は(中略)私の中では「番外編」という言葉が一番近いかも。(中略)「番外編」はキャラは本編と同じだけど直接ストーリーに関わってこない、読者へのサービス要素の高いものをさします(笑)。』
と書かれてます。が、今作で登場した某キャラは、終章の[衝撃的な言及]からすると、本編にも重要な立場で登場するみたいな…十分「直接ストーリーに関わって」くる気が。いや、登場するとしたら、今作から、どんな風に「成長/変化」して登場するのか考えて、とても期待してしまったので(笑)。
『流血女神伝 女神の花嫁 (前編),(中編),(後編)』コバルト文庫
(前編) 購入:2003/04/27
(中編) 購入:2003/07/26
(後編) 購入:2004/03/04
2003.04.28
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2003.04.28、『流血女神伝 女神の花嫁(前編)』読了。
物語世界で、超人的な肉体と戦闘技術(剣技とか)を持ち、ザカリア流血女神の使徒としてカリエに関わる、ラクリゼを主人公にした、外伝です。同等の戦闘技術を持つ、希代の女ったらしにして意外にもかなりのヘタレ男だった(笑)サルベーンとラクリゼの出会い編だったりもします。
感想は、後編を読んだ後に。
ザカールの民の隠れ(?)里の設定は、私はコナン・ドイル『失われた世界』創元SF文庫 の[メイプル・ホワイト・ランド]を連想しました。
2003.11.08
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2003.11.08記。
『流血女神伝 女神の花嫁(中編)』…なんとなく途中で停まってたり(汗)。
2003.12.30
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2003.12.30記。
『流血女神伝 女神の花嫁(中編)』…未だに序盤ですが。
サルベーンが言った「私は女神に愛されていない」という台詞から、以下のようなことを思いました。
神が愛さないものが世界に在るでしょうか。神が愛さないものは、そもそも存在しない(できない)のではないでしょうか。
そして、神に嫌われたものは、その者の存在自体が根本から疎外され否定され消滅し、消滅したこと/かつて在ったことそのものが「なかったこと」になる、のではないでしょうか。今そこにいる者が死んだり消えたりするレベルではなく、生きていること/生きていたこと/生まれたこと、の全てが忌避され削除され回避され、何も無かったことになる/存在できないようになる、と。
神の意は全能であり、神の力は普遍である、というのなら、その意志力の表われは容赦なく徹底的なものではないか、と思うのです。
上を書いて二時間ほどで読了しました。
うわそこでその名前が来ますか、と意表をつかれて膝が砕けかけたり(笑)。
さて後編。早く作者氏の腹筋が無事鍛え上がりますように(違)。
2004.03.05
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2004.03.05記。
『流血女神伝 女神の花嫁(後編)』購入&読了。
…作者氏は腹筋を鍛えるどころではなかった、とか。
『それがたとえ、女神の御心に背くことだとしても。』
人が神に背けるか否か。背いた、と思えてもそれもまた神の意の内、と言う気がしてなりません。
それにしてもサルベーン、本編では、よくもまぁカリエやラクリゼの前に姿を現せたものです〜。というか、良くラクリゼに一刀両断にされなかったものです、と言うべきでしょうか。
アデルカが使っていた剣は、今はどこにあるのでしょう。戦いの中で折れたりとは書かれてませんが、未だヨギナにあるのでしょうか、それとも、マヤル・バルアンあたりが接収してたりするのでしょうか(読み返したら、どこかに書かれていたりして ^^;)。
『流血女神伝 暗き神の鎖 (前編),(中編),(後編)』コバルト文庫
(前編) 購入:2004/06/04
(中編) 購入:2004/08/16
(後編) 購入:2004/11/03
2004.06.04
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2004.06.04記。
『流血女神伝 暗き神の鎖(前編)』購入&読了。
「ぎゃー! 死ぬ! もうだめ! ありえな−−−−い!!」(P229)
最新の流行を取り入れ?(笑)
いやま〜うやむやと言うか、多分序盤のあのシーンのあと辺りぐらいから以降「晴れて夫婦」(P13)なんだろうかな〜と言うか、エドくんだって本質は変わってないじゃんと言うか。
と言うことで、もう一人の契約者(と言う呼び方で良いのかな?)であるところのミュカくんに超期待、でしょうか(謎)。
ドミトリアス皇帝陛下&グラーシア皇后陛下の方は、まぁなるようになるしかないだばな、と(酷薄な視線で)。
…以上、読了直後の勢いに任せた第一印象、です。
2004.08.16
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2004.08.16記。
『流血女神伝 暗き神の鎖(中編)』購入&読了。
『で、中編は……えー夏か初秋に……』(前編・あとがきより)
8月は十分に夏、というかまだ一週目が終わったところなので真夏真っ盛り。女神の寵愛よろしく執筆が順調で何よりです。
一国の正妃に上りつめてしまったカリエでしたが、そこで終わるようではカリエではない、とばかりに、前巻で姿を見せた最強の敵は圧倒的な力を揮い、物語は急転直下・疾風怒濤の展開を見せます。
これなら、エドにもまだ可能性がある? とか思ってみたり(謎 ^^;)。
それにしても。
カリエを含む女たちが二の線を崩すことなく奮闘するのに、男たちは…三の線とは言いませんし、それぞれに持ち味を出しているのですが、悲壮さが少ないのには、思い返すと苦笑しか。
リウジールがバルアンに、世界に遍く神々の力について語り。
「つまり、あらかじめ決められた歴史を変えるようなことでなければ、制限は受けないのか」(P152)
と言うバルアンの、そのことに関する記憶も、リウジールの思惑通り「制限」に抵触するのでしょうか、これまでに同じようなことをした経験でもあるのでしょうか、一切の痕跡を残さずに消え失せて。
神の言葉=預言は決定事項であり、変えること/変わることはない。ただ、人が預言を得ても、神の意を正しく見通せるものではない、と?
あるいは。
言葉で綴られた物語「世界」。読者は、では「時」でしょうか。読み解かれて行く文章に合わせて、その心に「世界」が浮かび。物語は、読まれている間だけ生き動き流れ。やがては結末を迎えて。
メネ・メネ・テケル・ウパルシン。
何度繰り返し読んでも物語は変わるはずもなく。
読者(わたし)は、では、同じなのでしょうか。
…などということを考えてみたり。
2004.11.03
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2004.11.03記。
『流血女神伝 暗き神の鎖(後編)』購入&読了。
神には無限。
人には絶望。
神は絶望せず、人の命には限りがあり?
これが今回、最初の2ページを読んで思ったこと、です。
いやしかしこれは本当にコバルトでせうか(笑)。エロでもズバリでもないですけど、誤解・曲解・迂回の入る余地のない表現で、アレやコレやがカリエの身に起きてしまったことが示されて…う”〜ん。
でもってクライマックス直前で……。
果たして性別は、どっち?
それにしてもトルハーンとイーダルの影響力の強力なこと。エドとサルとソードだけなら、いくらでも深刻に辛辣になるでしょうに、二人が居ると、とたんに剽悍が剽軽に様変わりしてしまって。
人の身には、今この瞬間だけが唯一の実存。では、神にとっての実存は?
神が時に縛られないのであれば…因果のむすぼれを編み変えることは容易でしょう。そしてそのような変更/更新/改変は、現在しか関われない人の身では、比較検証することなど不可能です。比較すべき事物は、その過去そのものの操作によって変わっているのですから。
神に逆らう力とは、ですから、そのような因果の移ろいを見、覚え、多少なりとも逆らえる力なのではないか、と思えます。
次巻から、最終章が始まるそうです。予定では来年の夏、とか。
待ち遠しいです。
『流血女神伝 喪の女王 1〜8』コバルト文庫
1 購入:2005/06/02
2 購入:2005/11/02
3 購入:2006/02/02
4 購入:2006/07/29
5 購入:2007/02/02
6 購入:2007/04/28
7 購入:2007/08/02
8 購入:2007/11/02
2005.06.05
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2005.06.05記。
シリーズ最終章の開幕。
今回のタイトルは、P122辺りで、ユリ・スカナの現女王を指しているのかな、と思いましたが、これが最終章自体の題名であることを考えると・・・。
表紙はエド&カリエ、なんでしょうか? 他にあてはまる人物・組み合わせは思いつきませんけど。でも、エドはまだしも、これがカリエとは、ちょっと…(;´Д`)。
武器を手に駆ける[攻め]の姿勢は、これまでのカリエからは考え難い形なので…与えられた/襲い来る状況/運命に抗する形からの変化、の兆しでしょうか。
で。
最後の一文ですが…そんなの見せるな〜、と言いたいデス。と言うか、時系列な成り行きからすると、まだ[繋がった]ままだったりしません?(核爆)
2005.11.03
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2005.11.03記。
『流血女神伝 喪の女王 2』購入&読了。
…今回の内容について、何を書いてもネタバレな気分。そんな感じの2巻目でした。カリエ&エドのやってることは、今まで何度も繰り返してきたパターンで、その度に驚天動地な展開の渦中に飛び込んでいて、今回も例に洩れずで。
ルトヴィア、エティカヤ、ユリ・スカナ。カリエと言う天真爛漫とゆ〜より猪突猛進な熱血(現時点ではもう、娘ではなく、おばさ ;y=ー ( ゚д゚)∵・ターン)姐御の波瀾万丈千変万化疾風怒濤な遍歴で、見事に三つ巴な様相を呈しているような。
表紙絵は、上からネフィシカ、グラーシア、イーダル、のユリ・スカナ王家三姉妹(^^;)でしょうか。
2006.02.03
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2006.02.03記。
『流血女神伝 喪の女王 3』購入&読了。
『2』の展開の続き、ですが、本文中にあった、この先に待ち受ける「出来事」に悲壮な色合いが濃い感じであることの仄めかしが、ちょ〜っとあからさまな印象で、う〜んヽ(`Д´)ノ、な読後感でした。
あとがき…この最終章、もしかして『砂の覇王』より長くなったりするんでしょうか。いえ、それならそれで堪能できて重畳、と言いますけど(笑)。
名前…わざとらしい、神の「お遊び」?
お姉様…ごきげんよう(核爆)。とかやられたらど〜しようか、と(;´Д`)。
2006.02.04
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2006.02.04記。
追記。
エド…あぁ、最終章なんだなぁ(爆)、と言うか、実はセーディアに「お父さん」と呼ばれたいだけなのd(刀の鞘走りと斬撃の音)。
2006.02.08
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2006.02.08記。
追記2(^^;。
カリエの夢…シスター・マネイエの過去を夢に見たのは、どういう意味を持つのでしょう。セーディラの「力」? カリエの「力」? 女神の気まぐれ? 女神ではない神の技?
2006.07.29
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2006.07.29記。
『流血女神伝 喪の女王 4』購入&読了。
運命か、成り行きか、必然か。時は容赦なく降り積もり、神ならぬ身の人間を老い疲れさせて、その終末を、これでもかと見せつけて。
神/作者の過酷な要求に、カリエはどう応えるのでしょうか? どんな結末になり成果を得たとしても、それがカリエのものであると、神/作者の「処置」ではないと、私は思わずにいられるでしょうか。
『多数派はボク 少数派はボク 右へ行こうと左へ行こうと どちらにせよ 負けるのはボク』(三原順『はみだしっ子9 ブルーカラー』白泉社 P113より)
では勝者は?
それにしてもイーダル君は、どこまで本音で・どこまで韜晦で・どこまで口から出まかせ、なのでしょう。
サルベーンは、これまでの積み重ねが、ある程度まで明かされてますけど、イーダル君は現在進行形な場面での外面描写が殆どで、推測・演繹する手掛かりが無いので、今後、どう転んでゆくのか、楽しみであり不安でもあります。
エドは……地の果てでず〜っと子守り、だったんでしょうけど、それはそれで、不遇ではありますが不幸ではない、んでしょうね(;´Д`)。
2007.02.12
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2007.02.12記。
『流血女神伝 喪の女王 5』購入(2007/02/02)&読了(2007/02/11)。
サルベーンの惑乱(?)は、長年の蓄積の故? その場所の雰囲気の故? それとも、これが彼の「正体」で、これまでの在りようの方が(自己)欺瞞だった、のでしょうか。
エド…アルゼウスとの別離の他は、彼にとって「本当に取り返しのつかないこと」は、なかったのかも、とか、身勝手なことを思ったり(;´Д`)。
2007.05.03
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2007.05.03記。
『流血女神伝 喪の女王 6』購入(2007/04/28)&読了(2007/05/02)。
今回は、ルトヴィアの内憂外患が、人と地だけでなく天も、ということが明示されてしまった回、と言えるでしょうか。
そして、『喪の女王』になってから(?)の、神秘/超常の現象の頻出さは、原始の女神の復活=世界への影響力の増大を象徴する出来事、なのでしょうか。
上下に揺れ触れる波の動き。人の運命・気持ち・情況の、運不運・昂揚と失意・好調と不調。
サルベーンとエドを対比する描写(P197あたり)に、ふと、こんなことを思ったり。
今回の一番の衝撃は、あとがきで明かされた今後の予定、でしょうか。でも、本当に?(^^;
2007.09.06
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2007.09.06記。
『流血女神伝 喪の女王 7』購入(2007/08/02)&読了(2007/09/02)。
ユリ・スカナ:カリエ、エド&セーディラ、イーダル、ネフィシカ、リネ、プイダ、他。
エティカヤ:バルアン、フィンル、アフレイム、レイザン、他。
ルトヴィア:ドミトリアス、グラーシカ、ミューカレウス、ロイ、サラ、オレンディア、ギアス、トルハーン(?)、他。
…主要な人物たちが一つところに集合して結着・大団円、な感じではない、様な。
それぞれの場所で、それぞれの人々が、それなりの区切りをつける、のでしょうか。
2007.11.03
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2007.11.03記。
『流血女神伝 喪の女王 8』購入(2007/11/02)&読了(2007/11/03)。
平積みの腰帯で、内容に関する重大なネタバレをかまされたので(苦笑)、多分初めて今回は、あとがきを先に読まずに、本編から読み始めました。
微に入り細を穿つ、とまでは行かなくても、過程の流れを飛ばさずに綴ろうとしていたら、ユリ・スカナの政変、エティカヤの遠征行軍、ルトヴィアの騒動、等々のそれぞれで、この巻の半分〜全部くらいは費やすだろうなぁ、とは思えます。
見方を変えれば、この巻で省略されずに語られた事物・出来事・思いの各々こそが、作者氏が、読者の想像や推測に委ねたくないもの、なのかもしれない、と思えたりします。
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