『グラン・ヴァカンス 廃園の天使 I』早川書房
購入:2002/10/03 読了:2004/10/27
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「夏の硝視体(グラス・アイ)」 SFマガジン 2002年10月号 558 所載
「夏の鄙びたリゾート地」。
AIの触れ合い。
現実を模しているはずの世界に現れる、法則を超越した「魔法」の存在・硝視体(グラス・アイ)。
「グラン・ヴァカンス」の前日譚。主役たちのお披露目/試し書き/検証?
「蜘蛛の王」 SFマガジン 2002年11月号 559 所載
「エキゾチックとアスレチックを満喫する区界」。
密やかな破滅の意思…病・呪・穢・魔・悪・飢…が現実世界から持ち込まれ、AIがそれを受け・育み・増幅して、仮想世界に痛みを撒き散らす。
やはり「グラン・ヴァカンス」の前日譚。やはり(以下略)。
「グラン・ヴァカンス」
「夏の鄙びたリゾート地」を「蜘蛛の王」が襲う。
鑑賞/感傷/緩衝/管掌/干渉、と。
金盞花(スウシー)。ウサギ。ジュリー・プランタンのペット。
AI:ジュリー・プランタンの「機能」を活性化(?)させる「フラグ」。
「父」は、ジュリー・プランタンを解放したのでしょうか? 欠損させたのでしょうか?
スウシーは居なくなり、ジュリー・プランタンはペットを持たなくなり。自宅を出て家族から離れ、一人で暮らすように。
それは彼女の「機能」が働かなくなったことを示す印。「父」の行動は、それを購うためのもの?
…その答えは「グラン・ヴァカンス」の最後にありました。
区界は苦界の意? 視体(アイ)はAIの韻? なぜ感応ではなく官能?
私は「夏の硝視体(グラス・アイ)」→「蜘蛛の王」→「グラン・ヴァカンス」の順番で読みました。
でも、現時点でのお薦めの順番は「夏の硝視体(グラス・アイ)」→「グラン・ヴァカンス」→「蜘蛛の王」です。この方が、「グラン・ヴァカンス」と「蜘蛛の王」の味わいが良くなるのではないか、と思えるので。
なぜ、神は人に自由意志…なりゆき・運命を感知し、それを測り、評価し、喜び笑い哀しみ怒り、希望を、あるいは絶望を抱き、それに向かって、あるいは抗って進もうとする心/視点/視界…を与えているのでしょう。
あるいは、なぜ神は奇蹟…世界律にそぐわない事物…を顕す/顕してしまうのでしょう。
語られ綴られるAIたちの物語…過去・現在・未来。それのどこまでが「設定」で、どこからが「経験」なのでしょう。その区別は無用/不要/不能、なのでしょうか。
と…「グラン・ヴァカンス」第二章を読み進めながら書いたら、同じような文言が「グラン・ヴァカンス」第三章の冒頭に明記されてました(;´Д`)。
AIにとっては、設定も経験も同質にも異質にもできる/なる…そう設定するだけのこと。
では客にとっては? それは客の判定に任される? それ…判定すること…自体もサービスの一つになる/なっている?
客の来ない仮想世界の物語を読む[私]は何なのでしょう、と。
一瞬でさえない、過去。綴られた来歴・事件・人生の平穏や波乱万丈は、企画者・制作者・技術者たちの意図と発想と労力の成果/反映。
千年余も積み重なった、いま。付与の揺らぎの範囲の内で移ろい・変化し、際限なく繰り返される「今日」。
一幅の絵画。一枚の写真。一冊の本。切り取られ、純化され、規定された物語。
それが変わり得るのは、外側から、時間か人間の作用が働いた時だけ。
《数値海岸》の仮想世界は、どうやら「起こったことは覆せない」レベルにまで現実世界を模倣しているようです。舞台の変質も損壊も、AIの経験も死も、起こったことはそのままに維持されてしまう。
リセットは、たぶん無いのでしょう。
それは現実世界の模倣の徹底でしょうか。それとも無限の可能性の分岐が生み出す平行世界のように無限のリソースがあって、リセットの必要が無くなっているのでしょうか。
「グラン・ヴァカンス」の惨劇は、ランゴーニにとって最初で最後の事象だったのでしょうか。
ランゴーニは如何にして<夏の区界>でこそ求めるものが得られると知り、得る段取りを企画し、実行し得たのでしょう。
バックアップ/初期化/再起動。巻き戻し。試行の繰り返し。最適化。…そのようなことは、仮想世界では支障なく可能でしょう。
そして、一連のテキストの間に新たな文章を挿入するように、事象を後付けすること、とかも。そう、老ジュール。
あるいは。
「数千の別の区界の別な時間を完璧にマネージ」(「グラン・ヴァカンス」P70)する、クロノマネージャ。
それを操作すれば、千年の時間差も隣り合うフレームに存在し得るのではないでしょうか。時間経過もまた、仮想世界にとっては変数(パラメータ)の一つでしかない、はずですから。
たとえば、記憶生成装置。思い出データベース。
設定時間のパラメータに応じて、AIの無意識/表層意識を規定する基盤が、適当な記憶/思い出を取捨選択し、他のAIの無意識とも協議し整合を取り合い、設定する、とか。
「ラギッド・ガール Unweaving the Humanbeing」 SFマガジン 2004年2月号 574 所載
<数値海岸>以前。そこにいたる基幹技術の成立。
その中心人物の一人、異様な能力/才能の持ち主・阿形渓(あがたけい)という人物についてのラフスケッチ(?)。
weave:編む → unweave:解く。本文中に、毛糸編みのシーン。そして、●●を解きほぐすシーン。
情報的似姿。仮想世界で経験を得て持ち帰り伝えるエージェント。モデル化された個性/感情。人間の外殻? 喜怒哀楽/感覚(官能?)の記録…五感と互換な記録として、それを得た人間は、自動的に(勝手に/恣意的に)解釈・翻訳・変換を行って、映像化したり明文化したり、する?
『ラギッド・ガール 廃園の天使 II』早川書房
購入:2006/10/21 読了:2006/10/23
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収録されているのは
「夏の硝視体(グラス・アイ) Air des Bijoux」
と
「ラギッド・ガール Unweaving the Humanbeing」
「クローゼット Close it.」
「魔述師 Laterna Magika」
そして
「蜘蛛(ちちゅう)の王 Lord of the Spinners」
最後に、あとがきがわりの
「ノート」
初見だったのは「クローゼット」と「魔述師」。
阿形渓。
カリン・安奈・カスキ。
浅生たがね。
…数値海岸に、破滅/歪/終末を、指向/内在/施行したのは、誰? 開く口内に「シ」を含む「じょせい」は、何者?
そして、ジョヴァンナ・ダーク。彼女は?
魔述…忍法・影縫い(笑)。
その呪縛の力の源は、被術者側の[羞恥の周知への恐怖]。
自らの暗部を照らし出されることへの恐れが、全ての人の影を縫い止めた結果が、〈大途絶(グランド・ダウン)〉。
コンビニで、サンドイッチと500mlの紙パック飲料を買って、それを店員が、サンドイッチの上に紙パックが乗るように入れていて。
それは無思慮かもしれない。ありがちな機械的な作業の結果なのかもしれない。
でも、意図的な・確信の上での・悪意ある行動なのかもしれない。
それとも、私自身の持ち方が悪かったのかもしれない。
…潰れ、歪んだサンドイッチを見、意識的にせよ無意識にせよ、私のこの不幸・慨嘆を、店員は想像してストレスの発散をしているのかもしれない、と、そう思ってしまう/思えてしまう、私自身を含む人の、「負(ネガティブ)」な心。
他者への「正(ポジティブ)」な配慮…人の、心地好さの創出/心地悪さの排除を考える、心働きは、人の心のストレスの発散には、なるのだろうか/ならないのだろうか? と、思ったことです。