篠房六郎 ...last update 2008.02.04  [上]に戻る

 『空談師』講談社
 『ナツノクモ』小学館 (最新)

『空談師 1〜3』講談社
  1 購入:2002/11/18, 2 購入:2003/02/22, 3 購入:2003/07/24

 2004.06.08 記
 第一巻が出ていたことを、刊行されて一月ほど後で知って、以前に『アフタヌーン』講談社 で、現在は『篠房六郎短編集〜こども生物兵器〜』講談社 に収録されている「空談師」(前後編)を読んでいたことを思い出して、第一巻を購入する気になった…のだったと思います。

 久しぶりに、三読目か四読目かの再読をして。
 ウーフーの特異性が、ようやく自分の中で言葉にでき始めた、ように思います。

 彼女(?)だけは、言動に表裏がない…表裏と言うか、ウーフーという「仮想のキャラクターに仮装している」意識がない、みたいに思えます。
 もしかして、ウーフーという少女(?)は「ボード」と呼ばれる電脳世界内に生まれた、現実の誰かの仮想/仮装ではない[存在]として設定されている、のではないのか、などと言う空想的仮定をしたくなってしまう程。

 読者が自分を仮託する「存在」として設定されている(と思われるキャラクターである)ウーフーは、初見の、予備知識が何もない白紙状態の読者に『空談師』世界を把握させるためにでしょう、彼女(?)自身も読者と同じ立ち位置に置かれ、右往左往する羽目になります。そのウーフーの無知振りが、「ボード」に参加するプレイヤーの標準的な行動様式とはかけ離れたものであるらしいことは、ウーフー以外のキャラクターのウーフーの言動に対する態度から伺えます。
 そして、作品の最後までウーフーは「ボード/パラベラム」に馴染まず、その愚直さは変わりません。それはもう見事に「そういうキャラクター」で在り続けます。
 とすると、ウーフーの愚直さは読者のためのものではなく(それ「だけ」ではなく)、そういうキャラクターだった、と言うことだろう、と思えます。でも,そうであるならば、ウーフー以外のキャラクター全員が「ボード/パラベラム」に適応している中では、ウーフーは「ボード」にとって非常に稀少/特異な存在である、と言うことになります。

 作者氏がウーフーをその様な特異な存在に設定した理由は何だろう、と考えたくなります。
 ただ単に、現実でも同様に愚直な「善人」で、この物語では「パラベラム」に馴染む暇がなかっただけ、という設定だった、のかもしれない、とも思ってますが(笑)。


『spinning web ナツノクモ 1〜8』小学館 最新
  1 購入:2004/05/29, 2 購入:2004/07/30, 3 購入:2004/12/01, 4 購入:2005/05/31, 5 購入:2005/12/01, 6 購入:2006/05/31, 7 購入:2006/10/31, 8 購入:2008/01/31

 2004.05.29 記
 篠房六郎『ナツノクモ I』小学館 読了。
 『空談師』講談社 と同じ[世界]のお話…全感覚没入装置使用(なんでしょうね、な)電脳架空世界での、状況説明はそこそこ、背景説明は灰色の闇の中に点々と断片的な情報が浮かんでいる感じ、のハードボイルドなんだかサイコなんだか、な物語。…なんですけど、『空談師』と違って現実側の画があり現実側の物語がある、という点に、作者の意図なのか編集側の意向なのか、と気を取られたり。
 巻末の「サイドストーリー」が、軽くて判りやすくて好きです〜。

 題名である『ナツノクモ』…カッ、と照りつける陽光をたたえた蒼穹の、白色の明暗でできた雲、かと思ってたのですが、中のページの表紙を見て「蜘蛛」? と、考え直し。たのですが、蜘蛛だとしてソレは?
 作者の既刊は、カバーを外した表紙絵もなかなかアレ(とゆーかナニ)な感じなので、こちらは…と見てみたら・・・ロールシャッハ?

 2004.08.01 記
 篠房六郎『ナツノクモ 2』小学館 読了。
 悪辣な職業的犯罪者集団を懲らしめるような「正義の味方」なんて、居ない居ない居るわけが無い。
 興味本位の野次馬たちは、せいぜいが袖擦り会う程度の他生の縁で、今生の縁なき衆生であれば、成り行きで簡単に敵になる。偶然でも縁があれば、味方になることもある、かもしれないけれど。
 傭兵を雇い、その力を自身の刃として自衛しようとする、他に行き場の無い者たち。
 ところが、傭兵は力こそあるものの、その種の仕事は初めてで。雇用主が保護しようとしていた者たちの中のトラブルメーカーと運悪く出会って。
 トラブルメーカーは職業的犯罪者集団に捕捉され、傭兵も野次馬たちも巻き込んでの一大乱戦に。

 果たして傭兵は雇用主と会えて(爆)、請け負った仕事を完遂できるのか。
 トラブルメーカーは懲りるのか。誰かに懲らされるのか。
 職業的犯罪者集団には何らかの応報があるのか。
 あの三人の小悪党は、果たしてどこまで深みにはまるのか(笑)。
 どこまでがロールプレイで、どこまでが現実の影響で、どこまでが真実なのか。
 作者が、最後にどう落とすのか、期待してます。

 2004.12.01 記
 篠房六郎『ナツノクモ 3』小学館 読了。
 …よぐわがんにゃい(;´Д`)。
 ガウルは『空談師』のウーフーと同じ感じ? 猜疑と信頼の対応がズレてると言うか間が悪いと言うか。

 2004.12.06 記
 再読して。

 「#うそつきおおかみ」の舞台になっているボード[動物園]のゲーム内での指導者(?)クロエは、多数のボードを放浪している間にリーゼという少女(?)PC(プレイヤー・キャラクター)と親子(擬似家族)の縁を組んでいて。
 ところが、クロエ(を演じてる人)がカウンセラー氏(?)と現実側で結婚し、ボード内で結婚式を挙げた後のいつか、リーゼはいなくなって(?)。
 そして、リーゼと仲の良かったガウルの創作だったはずの怪物[カバキ]と同定される、ボードに対して破壊行為(ボードへのハッキング、PCへの拷問、等)を行うハッカー(?)が現れて。

 演技者がいない、みたいな。
 ボードで出会う事物に対して、その外装と「中の人」は不可分な感じに、自分の地で対応している、と言うか、虚構を前面に押し出しているPCは、主要登場人物の中にいない、のではないかと思えたり。

 思ったこととか疑問とか推測とか。
 物語の現在のクロエは、もしかしてカバキ? あるいはガウル?
 今回、破壊行為を行ったカバキはPC? ウイルス系プログラム?
 カバキが強制改造した地形の、PCたちを置いたオブジェのデザイン…なんというか、性的なモチーフのよ〜な(;´Д`)。

 2005.05.31 記
 篠房六郎『ナツノクモ 4』小学館 読了。
 小悪党三人組が出番無しだったのは、この巻が[内憂]を描く内容だったから、でしょうか。
 主要な舞台となっているボードの呼称は「タランテラ」(…以前に出てた、かな? ^^;)。
 相変わらず、出てくるキャラクターたちはPCと言うよりも、プレイヤーの地のまま、な印象で。[動物園]のPCたちは、気持ちの拠り所がここしかない感じなので、ここでこそ地を出すし真摯だし、というのは判りますけど。
 ボード上のPC、という[仮面]が、逆にプレイヤーの一面を顕在化させている、という設定なのかな、とか思ったり。
 ガウルくん(ちゃん?)には、最後まで現状のまま…不器用というか体当たりというか当たって砕けてばかり(^^;というか…でいて欲しい、かも(;´Д`)。

 2005.12.04 記
 篠房六郎『ナツノクモ 5』小学館 購入・読了(2005.12.01)。
 [動物園]から追放され逆恨みしているミツキ。でも、独善な要求に満ちた行動は、自分を[動物園]に関らせ続けたい、という情動の、ミツキができる唯一の表現である、ということなのかな、と。
 どうにもはた迷惑で歪んでいて幼稚で破壊的な表現で、到底、寛容な態度で臨むことは、私にはできそうにありませんが。

 外(オフ)でタランテラの主催者(?)が起こした殺人事件が衆目を集め続け、ボードのプレイヤーたちにも多大な影響を与え続けている状況を解消し、ボードの状況を事件以前に戻すために、元凶であるタランテラを無人の状態にする(と解釈しました)行動に出た、プレイヤーの最大勢力の二つ、魔法使いたちと騎士団。
「私達がこの森を焼き尽くす事で皆の余計な関心と注目の芽を絶ち(後略)」
と語る、主催の魔法使い側の指導者(?)には、「無関係な自分たちの平穏を乱すものの排斥」みたいな、冷酷さを感じます。
 [動物園]側の意見を聞くような行動を一切行わず、自分たちの意志を強制する姿勢は、傲慢と呼び得るものではないか、と感じます。
 同時に、全てをボード上で処理してしまおう・そうするべき、と考える、その思考回路の短絡(?)と言うか視野狭窄っぷりは、それが、この物語世界の人々の常態であるのなら、そんな社会的な心理状態を醸成したのは成り行きなのか、なんらかの意図的な操作があってのことなのか、色々と恐いなぁ、とも。

 2006.05.31 記
 篠房六郎『ナツノクモ 6』小学館 購入・読了(2006.05.31)。
 クロエさん……良い母親「役」でありたい、良い指導者「役」でありたい、と?
 ……今日は、良いロールプレイができて、嬉しい?(P168〜)
 だって、「ここ」はボードで、「私」は「クロエ」というキャラクター、だから?
 きっと「みんな」も、そうなんでしょう? と?
 ……(;´Д`)。

 2006.06.01 記
「結局 これは、 ただの ゲームで、………………」(P161)
 …はたから見れば、ガウルの行動もクロエと同じような[秘匿/リセット]で。
 そして、盗み聞きで知ってしまった「背景設定」から「逃げる」ために、「家族(ギカ)」の破棄を一方的に求め、クロエとトルクに、二人のガウルへの心情に「つけこんで」それを認めさせてしまった、性急・極端・残酷な行動は、自分に甘く他人に厳しい、未熟で傲慢なガウル(のプレイヤー)の失策でしかなくて。

 ガウルは、こんなふうにクロエから「逃げる」のではなく、クロエに向かって彼女(? …あ、今になって、ようやくその可能性を思い付いてしまいました ^^;)の「失策」を糾弾し、同時に「二人が/二人で」できる善後策の模索を「二人で行うこと」をすれば、少しは良かったのではないか? と、思ったりします。
 でも、そんな冷静さ・客観的な視座は、当事者が持つことは不可能に近いこと、なんでしょうけど……リアルな現実(オフ)と同様に。

 2006.10.31 記
「姐さん『いや〜んバカンス』中ではなかったのでぃすか〜?」(謎)な今回。
 生真面目だけで生きてきた[いいんちょキャラ]っぽく感じる今日この頃の空回りッぷりが痛々々々しいクロエさんに、ようやく[ツレ]が出来て、結果お〜らい。なんとなく良い方に運気が回り始めた? みたいな。

 …と、これがフツーに『異世界ファンタジー』で、姐御は姐御、クロエはクロエ、だったなら、そう思ったのに、と思ってしまう訳で。

 [ボート]世界でのMMORPGと、[現実(オフ)]と、どう関連を付けるのか、[ボード]で上手く行ったら[現実(オフ)]でも良くなるさ、みたいな軽佻浮薄っぽい「オチ/まとめ」が待っているのか、今のところ、期待と不安が七三分けです(笑)。


 2008.02.04
 完結…と言う感触は覚えることが出来ず。状況設定やネタ明かしは、これで全部なので、あとはお好きに、みたいな感触?
 コイルとガウル…いっぱいいっぱいだった気持ちに余裕ができた、みたいな? そう二人を導いた(?)、クランクとクロエは……謎(苦笑)。
 クランクの「視点/立ち位置」が、思った以上に冷徹・酷薄だったのは、でも、まあ納得、でしょうか。
 クロエの「正体」には、びっくりというか、腑に落ちないというか。彼女の将来に未来が見えない、のがいたたまれなく(慨嘆)。

 ボード上(内)の姿形や態度や振舞いに窺える、プレイヤーの[望んだ・求めた、姿形や態度や振舞い]。ボード上(内)で起こる軋轢や齟齬は、人それぞれの、ボードを使う目的の差?
 それは[人間の社会]でしかない、と?


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