コードウェイナー・スミス ...last update 2002.05.02  [上]に戻る

「クラウン・タウンの死婦人」/『シェイヨルという名の星』ハヤカワ文庫SF 所載
  購入:1997/06/?? 読了:1997/06/?? 

 物語の始点はレイディ・パンク・アシャシュ。何百年も前に人間であることを止め、〈観光案内ボックス〉に「全人格を刷りこんだ」(P37) 遺志/故人/機械。全てを読み、全てを嘉する黄泉の者。
 物語の視点はエレイン。その出現を、どのようにしてか、計算され、予言され、期待された医師/個人/機会。成り行きが組み上げた異邦人。
 物語の支点はド・ジョーン。計算と予言と期待とを実現するために、何度も繰り返し造られ続けた意思/孤児n/奇怪。無垢で無辜な無私の道具。
 奇怪な神。機会の神。機械の神、機械の外の神。
 人類を補完する機構に不可能事は何もない世界。生死も、知恵も、精神も、全てが等しく行き渡る社会。永遠に変わらないことを求め、望み、選んだ結果。
 明鏡止水の涅槃。古代の神の約束。
 変化、変動、変質のない世界。約束が果たされた今、神はこの世界のどこにもいない。
 人類の、人類による、人類のための世界。約束が果たされた今、宗教はこの世界のどこにもない。
 「いまや、もう男は男じゃなく/女は女じゃなくて/人は人じゃない」(P122)のだから、神の約束の世界にいるのだから、そこにいるのは天使たち、或いはしるしを受け神に召された者たち。地上から、生から、遙かに遠い者たち。司るのは補完機構(インストルメンタリティ)。
 そこにド・ジョーンが現れる。補完機構の古きレイディによって、死命と使命と氏名とを用意された娘。〈ハンター〉と魔女医師の精神の子供。愛を説いた殉教者。運命に因って受難に向かった救い主。犬/女/人。DOG/MAM/GOD。人々に均等を求める禽頭の出現への呼び水。ある意味では災厄、ある意味では再約。
 ジャンヌ・ダルクではなくて。
 でも。
 過去の焼き直しとも繰り返しとも回帰とも、違っているように思えるのは、心理(精神)や肉体の操作技術が〈枯れて〉いる…使用する側も使用される側も、盲目的な拒絶や反発や服従がない点、だろうか。そこには明晰な相互信頼があるように、私には思える。それは私に、「理想郷に住む理想人」と言う心象を与える。それ故に、螺旋を描く世界線の上で、人類補完機構世界のメンタリティは、「今」よりはバージョン・アップされたものがインストールされている…と思える時がある。

 もちろん。
 これは、こういうふうにも解釈できると言うだけのこと。単なる私見。私の意見。

(これは 1997/07/06 に Nifty-SERVE/FSF2 の会議室に書き込んだ文章から抜粋・修正したものです)


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