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2006年06月05日

ゲド戦記/ル=グウィン [ 読書 ]

 なんとなく読まずじまいになってた「ゲド戦記」、ジブリ効果でソフトカバー版が出てたので読んだ。
 第三部までで一旦完結したはずが後に第四部以降が出て、後の方は賛否両論あった、というのは知ってたんだけど、実際読んでみると納得。前三部作はユング的な異色さがあるとはいえ、まあ「普通の」ファンタジーなんだけど、第四部以降はフェミニズム色ドップリで、前三部作の物語をチクチクと否定するような内容になってる。正直なところ、楽しみのために読むのであれば第三部まででやめておくのがおすすめ。

 以下、これから読もうかなという人むけにご紹介など。

◆第一部「影との戦い」

 ゲド本人の少年期。ファンタジーのお約束では主人公の敵は強大な力を持ったわかりやすい悪の権化なんだけど、ゲドの場合は自分で呼び出してしまった「影」と対決することになる。クライマックスで「影」の正体が明らかになるんだけど、それがいかにもユング的な「なにそれ、夢?」みたいなオチなので、そこに納得できるかどうか微妙かもしれない。物語は表面的な描写は少なめでいろいろ大胆に端折って進んでいくので、小説というより神話に近い骨太さがある。

◆第二部「こわれた腕輪」

 実質的な主人公はカルガドという異教の王国のアルハという巫女で、ゲドはアルハが属する神殿に隠された腕輪を奪還するためにやってきた「敵」として登場する。ゲド(とアルハ)が対決する相手として、神殿のカラクリとか異教の信徒たちとかの具体的な存在が表に立っているので、ごく普通のファンタジーとして面白く読める。
 特筆すべきはアルハのツンデレっぷり。ツンデレ属性の人はこの一冊だけ読んでも十分楽しめる、と思う。

◆第三部「さいはての島へ」

 実質的な主人公はアレン王子で、ゲドはアレンの師匠として共に使命を果たす。第一部と同様に非常に漠然とした「闇の力」みたいなのとの戦いになるが、闇の力の具体的な現われ方の描写とか要所要所での演出がしっかりしているので、わりと納得できてしまう。
 結末が非常にきれいにまとまっている。これできちんと決着しているので、第四部以降は読まなくてもかまわないと思う。

◆第四部「帰還」

 実質的な主人公はテナー(=第二部のアルハ)で、ゲドが第三部の終わりで魔力を使い果たし「ただの人」になってしまって故郷の島に帰還するところから始まる。テナーは農家の未亡人で、ゲドはただのじいさんで、そこらへんの無法者とかケチな魔法使い相手にビクビクしまくるような話。
 男性的な力はおおむねみんな悪で女はその被害者である、というようなムードが充満。

◆第五部「アースシーの風」

 第四部の続き。ゲドはご隠居で、ほとんど出てこない。テナー、その養女テルー、カルガドの王女など、女性陣が大活躍。男性陣は男性社会を否定する反省材料みたいな扱い。
 第三部でゲドが片づけたはずの世界の破綻が実は全然直ってなかったということになっており、そもそもは大昔に男どもが勝手に魔法とか使いはじめたのがいかんかったのだ、みたいな、前三部作の根幹となった世界設定を全否定するような超展開。

◆別巻「ゲド戦記外伝」

 短編集。第一部以前の物語で、第四部と第五部に裏付けを与えて補強するような内容。前三部作を通じて善なる魔法の中心地であったロークの学院は、実は女たちの手で作り上げられたものを男の魔法使いたちが後から来て横取りしたということになっている。ゲドの師匠のオジオンが地震を止めたという伝説的な偉業も、実はそのまた師匠が女のまじない師に教わった術を行ったのが真相だったそうな。そんな調子で続々と後付け設定を繰り出し、前三部作の物語にフェミニズム修正をかけていく。
 半分ぐらい読んでギブアップ。

 やはり第四部以降は長大な蛇足でしかないような気がする。「ゲド戦記」ではなく全く別の物語として書かれたのであればそれなりに楽しめたかもしれない。しかし、第四部以降は前三部作にフェミニズム的な批判を加えるために書かれているようにしかみえないので、前三部作を素直に楽しんだ後では不愉快に思うところが多い。トータルでいうと「読まなくてもいい」という評価になってしまう。

 で、ジブリのアニメ版なんですけど。予告編等を見た限りでは、第一部・三部・四部・五部の要素を抜き出して再構築したものになるようだ。鍵になるのが第五部の中心人物のテルーなので、根幹はフェミニズム版「ゲド」になりそう。あるいはフェミニズム色を抑えてそのぶんジブリ風味を振りかけるかもしれないけど、どっちにせよあまりいい予感がしない。逆に第二部単独なら劇場アニメにバッチリはまる内容なんだけど、それじゃル=グウィンがウンと言わないだろうし、昨今の宮崎アニメに必須の「説教臭さ」がまるっきりない娯楽作品になってしまうから無理だろう。説教臭さが必要っていうのも変なもんだけど、今の宮崎アニメの商業的成功って「単なる娯楽作品ではありません」っていうエクスキューズが必須になってる印象がある。

投稿者 ヒロツ : 2006年06月05日 02:26

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